2011年5月25日水曜日

おじはマリリンモンローの胸をさわった!

おじは戦後、伊丹米軍基地のグランドオペレーションを担当し、米軍補佐官やパイロットとの仕事をしていました。

ある日、マリリン・モンローが慰問にきた。

それはもうすごい人気で、飛行機の降り口には、祭りのようなおしくらまんじゅうで、ミリタリーポリスが境界線を作って、おしくらまんじゅうを押し返すのでした。

おじは待ちきれなくて早くから待ちうけており、一番前にいました。

当時のマリリンの夫(だったっけ?)野球選手のデマージオがまず降りてきて、

おじいわく、

― はぁ、そらぁ、ええオトコやったぞ。

次にマリリン。

― そらもう、綺麗かった!(コーフンを隠せないおじ)

おしくらまんじゅうは前倒れになり、ミリタリーポリスが抑えようにも抑えきれず、一番前のおじは前のめりになり、張り出したうでがマリリンの胸を触ったのだそうです。

― 世界中、日本人で俺だけやで、マリリンの胸をさわったのはっ!


おじはこの話をすると異常にコーフンする。

実はおじは質実剛健な人で、ジョーダンなんて通じないし、どちらかというと無口で、兵庫県の不動産鑑定の仕事をし、硬いイメージの人なのです。若い世代の言葉が大嫌いで、つまらない流行言葉を言うとよくどなられたもんです。そんなおじにもこんな話があり、こんな若いときがあった。なんだかすごくおじに近づいた気持ちになるのでした。

2011年5月21日土曜日

やるやんか~

後先になりますが、
大学時代の友達に会った、というのは、
先週のことで、急に日本に帰ったときのことです。
おじが急遽、ガン手術をするということで、
えらいこっちゃと、駆けつけました。
私がおらなあかんっちゅうこともないが、
母の死以来、私の杞憂が高まり、
もしものことがあっては、と思うといてもたってもいられませんでした。
おじの口内ガンの手術は無事に終わり、
3週間の入院でかなり疲れ、痛みはまだあるものの、
どうにか退院を迎え、おばの手厚い看護もあって、
あとは、私としては祈るばかり。

とんぼ返りわっしょい。
フロリダに戻り翌日ショーの仕事。
ショーの後は、アーティストのネットワークのための集まりがあり、
Tampa Museum of Art へ。
こんな場所の会議室を使うなんて、やるやないか。
集まりは、アーティスト同士のコラボの可能性を高めるのが目的で、
Arts Council of Hillsborough Countyが毎月主催。


集まりは、1時間きり。
短いがな、やるやないか。
ランチを持ち込んで、お互いの近況とニーズを発表する。
人数は20人ほど。
始まる前に、この美術館のディレクターが、美術館の案内をしてくれ、
ドガのコレクションへと行く。ドガ、、、え、あのバレリーナの絵のドガ?
しけた美術館、、と思うたら、やるやんかぁ。
14歳のバレリーナの彫刻に、すっかり魅せられた。




静かな美術館で、つい先週の日本での会話がよみがえった。

「くにこは、ずっとアメリカに住むのんか?」
入院中のおじが、思い出したかのように訊いた。
うん、と私が答える。
「食っていけんのか?」
うん、一応。

「なかなかやるやんけ、へへん。」
手術で切り取った左上あごを、かばいながらおじは少し微笑んだ。
 おじはいつも優しい
 おっちゃんこそ、今でもレーバンのサングラス。やるやんか。戦後の伊丹基地でマリリンモンローの胸を触ったもんね。やるやんか。>>>その話は次回に。へへん!


 













2011年5月18日水曜日

またね、っていう詩


大学時代の友達とは
もう20年以上も会ってなくて、
もうこれ以上待ってなくて、
あの日のまんまじゃなくても、
快刀乱麻じゃなくても、
みんなでちょっと会うことに。

私を含めて7人、あたしんちで宴会。
遠くは福岡から大阪へ新幹線で、
お互いスケジュールはいかんせんで、
だからこそ、会えたこと爽快。

帰りたくなくなったヤツ、誰?
オレ、あたし、、、
雑魚寝で迎えた朝、
まだ遊び足らないヤツ、誰?
オレ、あたし、、、
最後は京都で昼。

幸せもインケツもいっぱいあるのに、
結局は笑うことに必死になって、
笑いつかれて、
ウクレレみたいにうかれて。

誰かが言った。
なんか元気もらったな、って。
あたしも言った。
ほんまやな、って。

昼下がりの空に、またね、ってグッバイ。
今日も明日は過ぎた日。
後姿を追わずにみんな、またね、ってグッバイ。