2011年7月31日日曜日

水の中のシャネル


夜のサラソタをドライブしていると、いつもこのプールに目を引かれるのでした。グレーの闇に青い宝石のように水の反射が窓に映って、綺麗。いつか中に入ってみたいと思うのでした。
病院の施設の一部ですが、患者以外でも使えるジム、と知り、ザブーンと飛び込みました。中は外から見るとおり、木張りの天井、スパニッシュタイルの床、鮮やかな青のプールで、感動でした。

クロールを200メートル過ぎて、昨日の夜観たシャネルの映画を想いました。


1900年代初期の、異常にきついコルセット、豪奢な羽ばかりの帽子、動きにくいドレスを、彼女のデザインが変えました。コルセットなしのシンプルでいてクラシックなスタイル。
女性の自由への意識を高めて、シャネルファッションが輝きを放ちました。
貧しい子供時代をしたたかに生き抜いて、多くの男達を魅了し、
1971年に息をひきとるまで、デザイナーとして作りづづけた、、、
はぁ、憧れるわぁ~

シャネルN5は、彼女がイメージとなっていて、ミステリアスで抽象、がテーマになっているそうです。
18歳の誕生日に、いとこがその香水の小さなボトルをくれたんだけど、
その匂いが、臭い質屋のようで、一体何がシャネルか、って思うのみ。
でも20歳の頃、初めてフランスに旅をしたとき、
乾いた煉瓦の道を通り過ぎる素敵なひと達が
この香りをさりげなくまとっていて、
そういうことかぁ、、って思ったのでした。

プールの水は静かで冷たくて、青の連続がミステリアスで、
そういう香りが蘇って、
水の中のシャネルは、しばらく1キロを過ぎても続きました。


2011年7月25日月曜日

古い町の物語



ベッド&ブレックファストの料理担当のサミーは小太りでフレンドリーなおばさん。
テキサスで生まれ、ガテマラに8年住み、フロリダのキーウエストに住み、なぜか今はここ。
ふたつの通りをへだてた、笑い顔の家に住む。

ボニフェィはタイムマシンで行くような町。
何もかもが古いが、
古すぎて捨てられた建物にベッドを持ち込んで、
許可なく寝泊りする、ってのが、すごい。

「電気がないから、昼は暑いけど、今頃から涼しくなるのよ。どうぞ、入って。」

薄暗いコンクリの部屋に彼女がろうそくを灯した。
部屋はベッドとソファがあるだけ。
キリストの絵の大きな瓶のろうそくがいくつも揺れて、
壁の悪魔払いのシンボルなどが浮かび上がった。
友達が刺青でいれたのを見たことがある。

「あなたベジタリアンって言ったわね。明日の朝食も、今日みたいに、フルーツとサラダでいいの?」
「いいわよ。ベジタリアンってわけじゃないんだけど、最近、自分の体内をクリアにするダイエットを試しているの。」
と、私が答えると、
彼女は体内のシステムをクリアにする方法を話し始め、止まらん。
自分も食事療法で心臓を直そうとしているのだそうだ。
彼女は生まれつき、内臓に欠陥が多く、
10歳まで生きられないと、医者に言われた。
が、私は生きるのだと念をこめて毎日生きた。
そして40歳の今日まで生きている。だから、彼女は念の力を信じる。
で、
20歳の誕生日に、腎臓の一部が完全によくなる夢を見て、
それが本当になり、ヒーラーの「宣告」を受けた。
以来、毎晩、毎朝、神との会話があるのだそうだ。

会計の仕事をしていたけれど、すい臓が悪くなり、失業者保険で食べていくことになった。
保険は毎月6万円しかなく、生活費の低くてすむガテマラに移住し、療養生活を8年続け、メイドの若い娘が、前世で自分の娘だった、と、彼女を養女にし、家族をもった。
かなりの回復で、歩けるようになり、夢で見たビーチの近くの家をフロリダに見つけ、そこにメイドで住み込んだ。

ある時、
ヒーラーのウエブサイトで、
あ落馬で右足首と右肋骨が痛くて立てない人がメッセージを残した。サミーは、ヒーリングパワーを彼女に向けた。すると翌日、メッセージを残した人が急に立ち上がって、痛みが消えた、という。
「私には長距離ヒーラーの力があるの。」

実はボクはスーパーマンなんだ、
と言われたような、不思議な夕暮れ。

この古い町は、
「レイトン教授の不思議な町」みたいに、
謎なぞがいっぱいありそうで、
自分も昔の物語に巻き込まれていくような気がした。

見回すと、いくつものドアがあり、
こんなところに閉じこめられたら、叫んだって、誰もこない。
携帯電話のシグナルもゼロだ。
ウサギが来たら「不思議の国のアリス」だ。
蒸し暑くて、ジャケットを脱ごうとすると、
彼女はどうぞどうぞ、とばかりに、シャツも脱げ、ズボンも脱げ、という。
まるで「注文の多い料理店」、宮沢賢治の世界じゃないか。
これこれ、あんたが脱いでどうするの。
ベランダには、彼女が好きなスカンクが飼われており、たぬきみたいなスカンクは茶釜が似合う。スカンク茶釜、って昔話、ここならありえる。
壁にあるインドの女神たち、私にはアマテラスに見え、明日にでも太陽が天の岩戸に隠れるのを私は必死の覚悟でとめねばならない。スサノオが来ないよう、誰か、見張って!
プルーストが失われた時を求めたように、この町、住民、サミーは古いまんまの町に時間を逆さまに生きていたりして、、、。え、そしたらあたしも昔に戻るの?
あぁ、なんだか、ドキドキしてきた。

サミーは古代の霊気ヒーリングの話をまだ続けており、
白砂糖が人類を滅ぼす話のあたりで、
わしゃ帰る、と私は立って外に出た。
ほならおなら、
タイヤがパンクしてた。
はぁぁぁ、、、しゃあない、寝てこましたろ。私の芸名、3年寝たろうです。










2011年7月24日日曜日

夏の北フロリダ



ショーで来た古い町。車を止めてフェンスを開くとそこは古い旅館。






最近、若い息子をなくしたという悲しそうなオーナーが、
少し無理をしておしゃべりをした。
「この家は100年もたつのよ。」
私はそれ以上、訊かなかった。







隣りには自動車整備工場があり、これまた昔の風情。







フォードの50年代のアンティーク車が’ええこかっこしぃ’やった。
(大阪では、自慢げにええところを見せたがるのを、ええかっこしい、と呼びます)






7時間ものドライブから開放されて散歩すると、
さすが古い町には、古いもんばっか。
古い古い家はお化け屋敷のようになってお化けが住む。
ここのお化けはおしゃれなスカーフをまとう。





タイムマシーンで来たような北フロリダ。
夏の強い日差しと亜熱帯の湿気に、目がくらみ、
深呼吸をすると、物語のある町にいるのでした。

その物語は次回に。







2011年7月15日金曜日

吉田博陽 aka 岳原遊 

唐十郎率いる オールスター赤テント。


寺山修司の摩訶不思議な天井桟敷。

1960年代後半から70年代の演劇の新しい風。
台風みたいな風やったんちゃうか、と思います。
なんやってん、今のは?っていう、
服を無理やり脱がすような破壊力っつうか、なんちゅうか、、、。

私は高校生の時、寺山修司の本を読んで’、特に短歌に感動しました。
ほんで大学の時、天井桟敷の「レミング」を大阪で初めて観た。
さっきも書いたけど、
なんやってん、今のは???って感じで、もいっかい観てしもうた。
唐十郎の赤テント、私が見始めた80年代は、
70年代の電光石火の興奮がない、と元ヒッピーのじじばば様達がのたもうた。けどそれでも私が見た状況劇場の芝居はすごかった。

ということで、私は、何かにすごく魅せられていました。
天井桟敷も赤テントも、当時、経済成長めまぐるしい日本の街並を、
どらえもんの「どこでもドアー」みたいに、神出鬼没の舞台を打ち、夢のように消えては、次の場所へ行くのです。特に天井桟敷は、オフィス街の路上に白塗りの裸で現れて、ヨーロッパの王女様ありぃのサムライありぃので、時間と場所を縦横無尽に行き交い、まるっきりの「現実」を突っぱねる路上を、あっという間に空想の世界にしてしまうのです。

なんやってん、今のは?
何がそんなにおもろいねん、って言われたら、困る世界やねんけど、
私は甘いシュールなロマンにひたってしまうのでした。

その結果、私はそのロマンを求めて、大阪で劇団幻実劇場のメンバーに入れてもらいました。
その頃のことはこちらに書いています。

「なんでうち(の劇団)に来たんや」
 ある昼下がりにベランダで、静かに灰色の川を見下ろしながら、演出家の吉田さんが訊きました。
「このスタジオって、誰も知らないような大阪の下町にあって、環状線から降りて、川に向かって歩く道がすごく好きなんです。劇を見に来るまでの道に、甘いシュールなロマンを感じるんです。」
「場所にこだわった事いうのはオマエが初めてや。」

この会話以来、私は、吉田さんとよく「場所」について話したと思います。というか、彼は天才的な聞き上手で、あたしがべらべら喋ってばっかりでしたが、、、。


アメリカに行ったまんまの私が、何十年ぶりに吉田さんに会ったときは、プロヂューサー、クラブオーナーの岳原遊さんでした。大阪でいくつかライブハウスを経営し、新しい才能のアーティスト、または渋い面々を出演させておられました。
長年、彼の主演女優を妖艶に演じてこられたはやさん(速水陽子)が会ってくれて、彼のクラブでいっしょに何かできたら、なんて話したっけ。

ところが、去年の11月に彼が他界した、とのこと毎日新聞のニュースで知りました。
もう一度会って、今度こそ、甘いシュールなロマンの真髄を聞いてきたかったのに、、、。
半世紀の人生に賭けた彼はどのあたりにあったんだろう?彼の話をしてくれるヒト、いないかなぁ、って思うのであります。
もしいたら、どうか書き込み、またはメールくださいませ。
kunikotheater@live.com
よろしゅう。


2011年7月9日土曜日

尺八奏者 クリストファー遥盟


尺八キャンプの先生はとてもとても素敵な方々でした。
ほんの少しの間でしたが、触れ合う機会があったこと、しあわせです。
私のせんせーの デービッド勘輔師範は紹介したので、
あとの3人を紹介してみたいです。

まずはクリストファー遥盟師範は、本を数冊出版されており、
その中でも自伝の「尺八オデッセイ」
蓮如賞という大きな受賞作です。
イサム・ノグチとの出会いで始まり、
オデッセイの名にふさわしく、
世界を放浪した尺八奏者の記録です。
蓮如賞の審査員のひとりであった中沢新一氏が「不思議ななつかしさ」をおぼえ、
五木寛之氏が「知的昂奮」にふるえた。

英語でも出版されており、
私はこちらで読みました。
「英語のほうが、じっくり読めるからいいねん」
と私がいうと、彼は
「うん、それはわかるよ。僕の場合は日本語のほうがじっくり読めるからね」
と、相槌をうってくれました。
静かな方ですが、さりげない優しさに充ちてはりました。

けど彼の尺八の演奏は、とても陰影があり、
悟りや優しさだけでなく、
殺気を感じるような音色もあります。

世界は広いっす。凄い演奏家がいるもんです。


尺八ヒーローズ

尺八キャンプのあった山の景色は雄大でした。



尺八キャンプの先生達をひとりづつ紹介するといいましたが、
オーストラリアとハワイ在住で
竹保流のライリー・リーさんとキャンプでふれる機会はほとんどなく、
あまり書けないのですが、彼も凄い尺八奏者で、コンサートでの演奏は目がまん丸になるような鶴の表現でした。大師範の先生だそうです。おんでご座(昔の鼓童)でかなり活躍されたと聞いていました。夜のクラスで、現代音楽の演奏についてのクラス、おもしろかったです。

数々のコラボ、オーケストラとの共演から、プリンストン大学での教鞭にいたるまで、幅広い活動は彼のHPに山盛り。




最後になりましたが、倉橋容堂さんは、京都在住の世界を飛びまわる尺八奏者。
コロラドのコンサート出演のため、4時半に空港に着き、7時にはもう袴を着て演奏ですから、びっくりしました。
「めちゃめちゃしよるやろ、こいつら」
と企画のデービッドを指差し、笑わせてくれました。
二人で関西弁でキャンプの食事の時に、ようしゃべりました。
日本ではきっとえら~い先生なんでしょうが、
友達みたいに喋りかけてくださって、教えてくださって、
強くて優しく、魂の音楽の味方!
私にとってはヒーローのようなお方。
尺八ヒーローね。


2011年7月8日金曜日

人工関節ならば、白熊くんの水泳

人工関節が必要ですね、これは。

はぁ?


それはそれはショックで、ほんまですか、と医者に言ったのでした。
右股関節の痛みは、タイコンドウを始めて10年目ほどで始まり、
タイコンドウのハデな蹴りが大好きだった私でしたが、
徐々に後ろずさりするようになり、結局はやめました。

総合病院で毎年健康診断をうけるのですが、
今年はそのついでに、軽い気持ちで受けた検査。
しゅ、しゅ、しゅじゅちゅですか?

MRIでみると、関節のダメージは大きく、
プラスチックだか、セラミックだか、なんだかしらんけど、
サイボーグみたいな関節に換える手術をしてください、
と専門の医師にいわれた。
明日にでも、という言い方をされて、呆然としました。

ガマンできない痛さじゃないから、
コアの筋肉を発達させて、
股関節をサポートして、負担がかからないようにするねん、
って決めた。

ということで、関節に負担の大きいランニングはおしまい。
いつか、ハーフマラソン走れるようになりたかったのに、残念。
けど、サボってばっかやたからええねん。
ほなら水泳、とYMCAに通い始め、のろのろと泳ぐ。
上の写真、わたいでおます。
ついでにヨガとピラティスも。
今日はリフォーマーというマシンを使った個人トレーニングを。
ふ~む、おばばくさいメニューやねぇ。
とおばばは思うのでした。


2011年7月7日木曜日

尺八キャンプ in Colorado

尺八???、なんで始めたんや?
ってよく質問されます。

アンティーク音色という素晴らしい!店が横浜にあって、
そこで、中古の箏をあさっていると、初対面から仲良くしてくれた店主さんが
「これって、秀れものなんですよぉ」
って、プラスチックの尺八を吹き始めた。
アメージンググレースを吹くから、びっくり。
それって私の大好きな曲、、、。
尺八の音色は何よりも壮大で豊かで、繊細で鳥の羽のようで、
恋に落ちたのでした。

スカイプでレッスンを始めて、複式呼吸から始まり、
演劇の発声と同じやからカンタン、と思うたけど、
そうはいかのキンタ*。

で、
技量不相応にも関わらず参加したこのコロラドキャンプ
上手な人たち、ごめんなすってよ。

尺八コミュニティは白人のおっさんがほとんどで20人位、オンナは私を含めて4人。
誰もがホトケのように優しい。
ほんでみなさん、オタクの香りいっぱい。
一例をあげさせていただきますと、
車で一緒になったハワイの若者はコンピューター技師で
カリフォルニアの音響技師と高度な情報交換に1時間喋り続けてはった。
ちょっとオリガミアートの連中に似てる。

先生は4人。
倉橋容堂
ブラスデール遥盟
ライリー リー
ウィーラー勘輔

加えて、お箏の先生、平岡ようこさん。

クラスはグループレッスンと個人レッスンに分かれていて、
先生3人が技量に応じたグループに分かれ、
夜はレクチャー主体。

私は初心者組に行き、
朝昼、ぶっ続けで、聞いて吹いて聞いて吹いて、の繰り返し。
間違えても気にせず、音がはずれたら必死であわせ、
とにかく吹く吹く吹く!

食事はキャンプの畑でとれた野菜中心でおいしい。
コロラドの田舎の山の空気はおいしいし、私しあわせ。
朝は4時半に目覚ましをかけ、丘を登って、朝焼けを見ながらロブキ(=尺八のロの音を吹き続ける)。


朝焼けはなかなか出てこなくて、まずは薄暗い空。
そしてやがて朝焼け!



標高が高く、下界を見渡すと、自分が大きな空になったようです。
小さな世界に生きて、小さなことにクヨクヨするお前、さようなら。
尺八の音はそんな空の音だなぁ、って思いました。
私なりに追い求めてみたいです。




最後に、女が尺八を吹くことに想像を膨らます諸君は、
男が尺八をする想像にも膨らませたまえ。それが平等というものじゃ。