エッセイ 2005

 このページは、2005年に書いたエッセイの集まりです。
詩や短いものも含めて、全部で30近くあります。
エッセイというよりは、日記みたいなのも混じってますが、
お時間のあるときに、読んでいただけたら、嬉しいです!


***

「好きで嫌いなニューヨーク」


ニューヨークからフロリダに帰ってきて、やっぱ太陽がさんさん、最高!

家でやっとへべーっとして、朝はエスプレッソマシーンの音でぶにゃっと目を覚まし、散歩に行くとトロピカルなド田舎の森の中に住む私は、はたまたワニに出会ってしまった。ワニってよおく見るとけっこうキレイ、とか思う。あの目つきの悪さもマフィアっぽくていい。1時間半かけての長い散歩をうちのダーリンとだらだら行く。林の中だから森林浴って感じかな。鷹の巣にはコドモがいるらしくピー、キーって声が空にこだましてた。家に戻って、新しい作品のリハと台本つくりに約2時間、そしてランチは納豆、ダーリンはラザニアの残りを温めて食べてた。食後のハワイのコナコーヒーにハマった。昼からは今後のショーの契約のうじゃうじゃの電話と宣伝資料の製作。そして友達のおばあちゃんの家に日本のビデオを持っていってあげて、図書館で,(なぜか)車の資料を見て、帰りに八百屋で中国の菜っ葉ボクチョイを買って帰宅。帰り道、夕日が紫で、マイルス・デービスをかけながら車をぶっ飛ばしたら気持ちよかった。

ニューヨークから帰ってもしばらく、気分はニューヨークで、都市が嫌いな田舎人だけど、心が揺れます。私なりに好き理由とか、好きなもんってあるんでやんす。

ニューヨークの好きなもの

1)エネルギー
ニューヨークは立ち止まらない。ブロードウエイ商業ミュージカルも、オフオフオフブロードウエイのド肝を抜くよな作品も、つまらなかったら去るのがルール。ニューヨークタイムズにコテンパンにやられる。うーん、だからこそやってみたい。感動の作品、息を呑む作品、ソウルフルな作品を掴んだ時、新しいカンパニー、ソロ、作品が流れ込む。そして川は止まると淀む。淀む川は魚が棲まない。ニューヨークの急流が好きで、私はここで1983年から3年半を生きた。私も動き続けたいな。

2)ハーレム
ハーレムがある限り、ニューヨークはすたらないと思う。そう思わせてくれたのはハーレムのアコ。アコは日本からハーレムに移住したジャズシンガー。10年ぶりにニューヨークへ来た私をハーレムのジャズクラブにつれていってくれた。「私、ここで育ったの。」ハーレムのど真ん中にある怪しい小さなクラブ。ニューヨークは安全になったとはいえ、ハーレムは未だ昔のこわーい空気をもつ。深夜のクラブの小さな戸の前、目がラリったラスタが二人いて、あいさつして入る。カウンターにはこれまたプー太郎・ヤバヤバ連中がいる。みんな黒い肌がチョコレートみたい。アコはみんなにキスして、ついでに私もハグして、古い友達というかまるで家族のような顔をしてカウンターにすわった。ジャズバンドの生演奏が続く中、アコが飛び入りして歌う。そして他のも飛び入りする。歌った後には客が審査員みたいにアコに、ジャッジを振るう。ダメなときはブーッと客から30秒で駄目押しが出るとアコは言う。私も自分の小さな作品をした。ブーとならずにほっ。イエーッ、アハッ、の相槌が気持ちいい。こうして毎晩、客にもまれる。よかったら、祝ってくれる。もっと歌え、と歓声が上がる。だきしめられて、朝まで飲めと言われる。
まだある。もうひとつ「連れていきたいところがある」というアコ。タップの飛び入りセッションのクラブだった。今度は100歳のじいちゃんがわしの教え子のタップはどうじゃ、5歳、7歳、12歳のガキをステージに上がらせた。普段着にガキがタップする。それがまた凄い。こうしてステージが生活の一部になるハーレム。アコはご飯を食べるように、ハーレムの歓声とブーを消化して生き続け、そのうち押しも押されないハーレムのシンガーになる。タップのガキどもはこれを当たり前に生きて、ハーレムを支える。ニューヨークを興奮させる。

3)自由
アメリカは自由の国という。でも私の住む南部フロリダはもっと封建的だし、アメリカのほとんどは田舎というか、排他的な人種差別がまだまだ残っている。けれど、ニューヨークは違う。アメリカ白人が少数で、移民が大多数を占める。そして移民達は自分達の文化を振りかざし、ニューヨークは移民が自由を磨きあう。ちょっとやそっとでは左右されないゆるぎない価値観が生まれる。

4)ハッタリ
私はニューヨークに住んだ時、それだけでヒトから注目を浴びた。ハッタリが限りなく効いた。それに気付いた時、もういれなくなった。ニューヨークにいて、オーディションをうけたり、レッスンを続ける毎日の興奮なんて、いつまでも続かない。26歳の冬に、ニューヨークを離れた。違う何かを探したいと思った。でも感じるだけでいいこの町、私は本当に好きだった。アメリカに住んでもう20年もたってしまったけれど、本当に凄いと、今でも思う。

***

「ぶんぶんぶん」

フロリダはもう初夏、いい気持ち。車の窓を開けて走ってたら、パーキングで蜂が入ってきた。ぎゃー、蜂だけはダメ。蜂に刺されると反応過多でテニスボールのように腫上がる。見ると、サイドシートの下を、ぶんぶん言わせて飛び回ってる。手ではたいたり殺そうとすると、すごい勢いで刺しにくるから、何もできない。ぶんぶんぶん。サイドシートの足元をぶんぶんぶん。開いた窓に気がつかない、ぶんぶんぶん。

もしかしたら、こないだ乗せたガキのドーナツの砂糖が散らばってるから?ぶんぶんぶん、ぶー。旋回のスピードがスローになって床で何かしてる。収穫が終わったらまた旋回。ぶーぶーぶーぶっ。頭を角にぶつけた。情けないヤツ。そしたら意地になってぶんぶんぶん、すごい速さで飛び回る。ぶつかった角を敵とでも思って、ディフェンスにかかる。やがてはちょっと疲れて逃げる空を探すが、この蜂、上を見てない。相変わらず足元の暗いところでぶんぶんぶん。バカタレー。

そうだ、車のドアを開けりゃいいか、ははは。青い空が車の中に入った。でもダメ。この蜂、出ていかない。ぶぶー、ぶぶー。今度は上下に旋回する。必死で出口を探してる感じはあるんだけど、下に下に行くトロさ。

なんでこんな簡単なことがわからないの?蜂を笑い物にしながら、ふと思った。でもさー私もおんなじことしてるよねー。この蜂が高みを見れずに、サイドシートの片隅を全世界のごとく必死で飛び回る、必死で戦い続ける、この姿って、もしかして、大宇宙から見た小さな小さな私のアホな姿じゃないの?少し止まって上を見上げりゃ、大きな果てしない世界があるのに。この小さな世界が「すべて」で、泣いてしまう。すぐそこなのに。

おーい、蜂、こっちだっつうの。上を見ろっつうの。

立ち止まって、高みを見つめ、宇宙が投げかける無限の真実を少しでも見ることができたら。自分以上の力を自分のものとし、飛び立つことができたら。

無限の真実か。。。何だろう?

ぶんぶんぶん。静寂の真昼のパーキング、蜂のムサシはぶんぶんぶん。

(30分経過 -- 蜂をずっと見てる私。このクソ忙しい時に、この無駄な時間は、快感。)

カーラジオからダイナマイトみたいなココ・テーラーのブルース、雲を蹴散らしていった。蜂は、目をそらした時にいなくなった。

私も飛ぶよ。飛ぶ発つからね。


泣きたい気持ち編集する
2005年03月20日09:08
昨日と今日は学校のショーの仕事。去年は劇場のショーが多かったけど、今年は学校が多い。

ショーの後に子供達と写真を撮った。するとある先生が遠くから、怒鳴る。
「エクスキューズ ミ!生徒の写真を撮るのは許可があってのこと?ないでしょ。ダメですよ。そういうのは。使わないでくださいね。」
写真は親がサインして、何月何日にどんな写真をとる、の許可を出さなくてはならない。

ふーん。

学校には、ならない、コトが多い。

X 生徒をたたいてはならない。
X 生徒が自分からキスやハグをしてくる時はいいが、自分からしてはならない。
X 生徒に政治と宗教のコメントしてはならない。
許可なしに学校に出入りしてはならない。

私「コレって、どこの学校でもそうですか?それともここだけですか?」
先生「どこでも大体そうよ。当たり前よ。学校は社会の縮図として、ルールを守っていくことが大切なのよ。国家にも個人の権利を守る規定があるのと同じよ。」

ふーん。

納得して、ショーを終えて片付けて車に乗った。ラジオのニュースが、ブッシュのアラスカ油田開発と新しい予算(戦争の予算も含める)の同意を決める賛否両論を、たらたらと告げた。これが認められると私は、今日の、ならない、をどう解釈していいのかわからない。

子供をたたいてはならないが、他の国をたたいていいの?生徒に政治と宗教を押し付けてはならないのに、他の国にするのはいいの?学校の出入りの許可は要るけれど、他の国に乗り込んでいく許可、いらないの?キスもハグも、向こうがするのはいいけど、こっちからする優しさを持ってはならない、って感じかい?

ふーん。

言いすぎてしまった。戦争への不満をどこへぶつけていいのかわからない。

***

「あがしのあしながし」

テニスのプロ、アガシとクーリエを見に行くことになった。トーナメントがフロリダであって、その前座に近くの町のテニスコートで、テニス教室の生徒を教えるんだそうな。

テニス教室のオーナーがたまたま私の友達で、そうなった。車で飛ばして1時間半、センピという町。決して大きくない海岸沿いのテニスコートは10台くらいのパーキングがもうすでにいっぱいで、生徒は30人位、見学も30人位、あとテレビのカメラが2台。6面のコートを程よく人で埋めた。

アガシとクーリエがそれぞれのコートに行って、5分ずつくらい生徒と打ち合う。ラケットの握り方を知らないガキからセミプロまでを相手に、教えるって感じじゃなくて、一緒に楽しくテニスしようぜって感じ。二人ともいろいろ見せてくれて、見るだけでおもしろかった。こんなに近くて見れるなんて。

私の友達は素早くクーリエの前に立ちはだかり、「以前、私の息子と一緒にうちのコートでトレーニングしてたわよね、」とか言って、クーリエは笑顔で「覚えてるよ。」と彼女のいくつものボールにサインして、一緒に写真をとった。アガシは他のコーチや生徒に話かけていた。私は目を皿のようにして彼らを見る。

二人の特徴
其の1  足の膝から下がやたら長い。走るのが速い。
其の2  テレビで見るよりハンサム。二人とも、笑顔だけでプレイボーイになれる、と私は見た。
其の3  色が白い。テニスっつったら日焼けするだろうに、さすが「白人」と呼ばれるだけのことはある。
其の4  とがってない。厳しい世界をタフに生き残るプロのプレーヤとは言え、トーナメントを離れると柔らかい表情だってするんだ。ふーん。当たり前か。

トーナメントでは超人的な速さと重さのボールを打つプロ。でも、今、目の前にあるのは、ちょっとカッコイイ男ふたり。近くで見ると、人は人に過ぎない。彼らを特別に見てた自分がなんかおかしかった。ボブディランの曲であったっけ。遠くから見てると、なんかとてつもなくみえるものが、近くで見たらなんでもなかったりするって。

にわか雨が降ってきた。トタン屋根のローッカールームに、みんなが走りこむ。アガシとクーリエはその人ごみにまみれて、見えなくなってしまった。

***

『キングコングと税金世界地図」

税金申告、深刻な顔して、神国に、新穀を差し出す。「申告」のシーズンなのです。

税理士のところへ持っていく書類の整理に一日を費やした。普段からきちんとしてない私は、ひいひい言いながら、あっちの請求書、こっちの契約書、銀行はこれ、借金はそれ、と、分類し、それぞれが床に地図のように広がった。書類の大陸を電卓片手にかけめぐる。この航海、ちょっとはスピードアップなりやせんかね?しゃあない。cdをかける。ジョニミッチェル、プリンス、ハービーハンコック、、、ええい、こうなったらTレックスだ、航海は続く。

大陸のひとつひとつに請求書と領収書の国がある。それを点検していきながら、ぎょうさんの国があるもんやと、ぎょうてんする。こないに経費ばっかやからビンボーなんやで。稼いでも稼いでも、ギャラはみんな次の仕事の舞台装置とか、新しい楽器とか、照明とかに使ってしまう。そしてそれがいちいち高い。うちのダーリンのdvd編集だってそう。使う機具の高いこと。仕事の投資といやあ、聞こえはいいが、単に創意工夫、計画性、ガマンがないだけ。ぐち、たらたら。

5杯のコーヒー、散々のグチ、さらにトムウエイツcd全集を経て、あー、やっと終わったあ。請求書大陸を踏みつけて、キングコングになって、税理士のもとに向かう。

税理士は超商売人で、ふにゃふにゃの笑顔で迎え、ゼニ勘定に徹底し、私のアホウな質問を手際よく答え、もみ手の握手で見送ってくれた。
金、かね、カネの一日だった。ほんで終わってみりゃ、実は、たかが金。そういうのは金持ちになって言いたいけど、貧乏でも、真実は同じ。たかが金。すかさず、されど金って言いそうになるけど、言わないことにする。請求書大陸をばしゃばしゃ踏みつける、キングコングの心意気で。

パーキングの隣りの自然野菜の店で、にんじんセロリりんごシェイクをオーダー。ほったて小屋だが、中身は最高で、70年代ヒッピーをオーナーに、私の前でにんじんやセロリをガーっとミキサーにかけた。たった3ドルの心意気。よおし、気にいった!オラヨッ、100ドルを、ぽんと置いていくよ。たかが金じゃい。

え?100ドルを置くどころか、ほんとは、色目使ってジュース作らせて、おごらせようとした、なんて、あまりにせこくて人に言えない。ついでにただで、おかわりしたなんて、、、ね。

***

「サウスキャロライナの楽屋から」

知ってるかい?
サウスキャロライナのロックヒルという小さな町を。
ハイウエイ77を降りてすぐそこにある。丘の美しい町。
そこにれんが立ての劇場がある。

知ってるかい?
石鹸のにおいのする水色のTシャツを着たステージマネージャーがいる。
彼女の南部のなまりは気持ちいいリズムなんだ。また聴きたくなる。

知ってるかい?
どこにもある町なんだ。そしてどこを見てもどこにもある人生なんだ。

知ってるかい?
カヨちゃんという5歳のハーフの女の子がいる。
ママが日本人でパパがアメリカ人で、ここで生まれた。ここで育つ。

知ってるかい?
ノースキャロライナのダンサーがこの町に時々教えにくるんだ。
短い金髪をジェルで流す、手が長い、とてもきれいなダンサーさ。
舞台で出会った。
ピルエットを3回まわるのは上手なんだけど、4回はぐらつくんだ。
ランチタイムには老人ホームのおばあちゃんみたいな毛玉の黒のニットを着てる。
ブルーのマッキントッシュのノートブックをいつも持ってね。

知ってるかい?
ここでは4時からの風が冷たいんだ。
フロリダから来た私には寒い。

知ってるかい?
私は知らないことばかり。
知らないことばかりだよ。

***

「見えない9割」

フロリダアホドライバーが、行く。

私のこと。Yep, I’m the Florida Dumb Driver.

フロリダにはまっすぐな道しかない。カーブは珍しい。幅がやたら広い。アホドライバーになってしまう。だから、私は他の州でドライブするのが怖い。ましてや、今度は運転が荒いのと道が悪いので有名なニューヨークでっす。

あーどないしょー。仕事はロングアイランドとニューシティ(ニュージャージーの北20マイル)やから、マンハッタンほどやないけど、あーどないしょー、どないしょー。レンタカーをケネディ空港からかりて、レッツラゴー!

クイーンズの友達が、泊めてくれる。その夜の会話。 まずは心配する彼女が話し出す。

「あんた、ホンマに明日、ドライブ、大丈夫?まあ、空港からここまで来れたんやから、大丈夫かもしれんけど。ところで、この地図、何すんの?」

「これ、見ながら行けば、着くなーっと思って」

「あほやね!こんなん見ながら運転できると思ってんの?こんなもんは暗記していくもんやで。覚えていきや!」

「あたし、いっつも地図を片手に、運転してるもん!」

「ニューヨークで地図見ながら運転するのは10年早い。ぶつかるで!(わての頭を地図でバシっ)」

持つべきものは殴ってくれる友達。

マンハッタンの北のブロンクスをクイーンズからスタートし、さらに泣く子もちびるジョージワシントンブリッジを渡って、ニュージャージの北を行く。小学校の朝いちのショーで、8時から始まるので、朝の6時に出た。友達は、アホなガキを見送る心配そうな母の手で、ベーグルをラップに包み、コーヒーを持たせてくれた。

結果からいうと、なんでもなかった。込まず、迷わず、ぶつからず、で終わった。

とは言うものの、疲れた。ラジオもかけず、必死のパンツでカーブを曲がった。何が言いたいかわからん道のサインばかりやった。前の一台を譲ったら「一気10台攻め」にあった。家みたいな大きなトラックがやたら多くて、前が見えへんかった。道、間違って、人に聞いたら、英語が通じへん場所ばっかしやった。 冷や汗たららとかいて、らららと歌うもんね。

あー、血圧下がった。しんどかった。(私はコーフンすると、血圧が下がる低血圧。)

舞台の仕事するのに、こないにアホドライバーせなあかんとは思わへんかった。舞台に立ってる時間なんか、全体にかかる手間と時間の1割もない。なんという比率だ!9割は見えないところでアクセクやってるってこと?

小さくなっていくニューヨークを、飛行機の窓から見つめながら、ビリーホリデーのmdを聞いた。なんか、ビリーホリデーの「見えない9割」を聞いているように思えたのは思い過ごしかな。彼女の後半の人生の見えない9割はドラッグに溺れていたという。見えない9割を見ているのは自分しかない。あとは神様くらいかな。あまりアホばっかしてられへん。ほんま、もっとしっかりやれぇ~わたしぃ~

***

「ミシガンのステージドア」

クールなケニーが言った。
「すごい音だね」

クールでない私には何も聞こえない。
「え?」

「カーステレオのベースが吠えるように、なってる」

窓を開けた黒のシボレーが遠くへ走っていくのが見え、やがてかすかに「吠えるよう」な音が聞こえた。

「そういう音、よく聞きわけれるんだね」

「商売だからね」

クールなケニーはこの劇場のサウンドエンジニア。野球キャップをかぶって、いつも黒いシャツを着てる。ひげをあちこちにはやしてる。昨日は相棒とdjをした。そしてその相棒は彼女と夜明けに大喧嘩をして、私の仕事には遅れてきた。

クールなケニーはそいつを完全に無視して、もくもくとセッティングを続ける。

クールなケニーは言葉が少ない。私が音あわせのキューを伝えると、黙って聞いてる。そして本番には全くミスがなかった。今までの劇場のサウンドで一番気持ちよかった。

クールなケニーは上を向いて笑う。はははって、空に向かって笑う。

クールなケニーは私のショーが終わると、ステージドアまで私を見送り、子供の頃に交通事故で失った足をうずめた車椅子をグルっと回転させ、グッバイと手を振って、振り向きもせず、次のミュージカルのリハに行ってしまった。

***

「カリフォルニアの天国のような町」

坊やー、よい子だ、ネンネしなー。。。
昔むかし、2005年の春にのう、ロス郊外にオハイという名の町があった。その町は丘に囲まれた、それはそれは美しい町じゃった。瞑想の丘と呼ばれる丘の頂上では、薔薇やラン、野生の花や木が茂り、天国じゃー、と人々はあがめた。

ヒッピーのように髪を伸ばした、子供達が楽しそうに走りまわっておる。学校じゃっちゅうても、私立が多く、のぞいてみたら、手作りのペンションのような建物じゃ。上下関係を排除し、生徒は先生を名前で呼び捨てじゃ。自分の意思で全てを決め、神様はキリストでもなく仏陀でもなく、自分の魂っじゃちゅうて教えちょる。

ある日のこと。ドサまわりのおくにが劇場にやってきたと。舞台に光の渦をつくる、時間を縮めるとか、世界を変えるとか、でたらめなこというから、何が起こるんじゃろって、町の衆は集まったと。

町の衆がおくにの舞台を見にきた。それはよか。けど、そこで怪物が現れて来た、と。「嘘」という名の大きな怪物ったい。「こうあるべきじゃ、そうあるべきじゃ」って「べきじゃ」の音を放ち、「真似」の衣装をまとい、「見栄」のつのをはやしてるんじゃ。使いフルされた手をぐるぐるまわし、「これでよかろ」ってナメた足並みで迫ってくる。ほんで、俺オレ光線で、やられそうになるんじゃ。

おくには、舞台でこの怪物と戦うんじゃ。武器は魂じゃな。ほんで、きび団子を下げて歩いておったら、「真実」が寄ってきて、「お腰につけたきび団子、ひとつ私にくださいな」って歌うっちゃ。次には、べっぴんの「即興」も、きび団子をくれっちゅうんじゃ。ほんで最後には、「無」がやってきて、きび団子をみんなにくれてやるんじゃ。それをえさに連中を見方にし、嘘が島へ怪物を退治に行くったい。え、さっき怪物が「現れて来た」って言うたのに、なんでわざわざ行くんやって。いいったい。話は適当に聞くもんじゃ。

ほんで怪物の征伐に、みんなで力を合わせ、おくには秘儀「心」3段構えでまわし蹴りをかまし、「真実」はその大きな体にものをいわせ、嘘をけちらかし、「即興」は目にも留まらぬ速さで空を舞い、「無」は俺オレ光線を見事にかわせて、どうにかなったとよ。

ほんで町の衆は、拍手で帰っていったそうじゃ。

けど、旅は始まったばかりじゃ。今日はたまたま勝てたが、負けも多いいんで、よかごとしんしゃい。そやけん、ここ掘れワンワンって言われたら、すずめのお宿はどこじゃって、たずねていけえ。エッサホイサの昔話じゃ。誰も本当のことは知らん。本人すらも、どこまできたか、知らん。勝ったつもりだけのことかも知れん。旅は続く、それだけのことじゃ。どんぶらこっこと川を渡る桃のように流れていくったい。

どこまでもどこまでも、流れていくったい。

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「出せなかった手紙」

前略 おふくろ様

母の日に花を贈れなくてごめんね。何故か、今年はアメリカのクレジットカードは使えなくて、オーダーがダメでした。テレビの隣りのたんすの上に花を飾ってるお母さんの笑顔を想像したかったのに。

紫陽花をさしてるって言ってたから、もうそろそろ春も終わりよね。フロリダはもう夏で、今日もクーラーなしでは暑いよ。

クーラーをかけずにいると汗ばんできて、ふと大阪の家の夏を思い出したよ。蚊取り線香をつけて、商店街の名前の入ったうちわであおぎながら、水色のスカートをまくりあげて、たたみに横になり、お母さんは私によく話しかけた。私は小学3年生の夏休みを退屈に過ごしていた。
「なんでこんなに蚊がいてるんやろ。蚊なんかおらんかったらええのになあ。なあ、くにちゃん」
「そんなん私に言うても知らんやん」

私はお母さんが作ったイチゴの柄の木綿のワンピースが短くなり始めていた。
「今度、布を買いにいこか?」
「うん、今度は何メートルいるのん?」
「あんたは背が高いから、そやなー。。。ちょっと計ろか。あんたは背ぇが高うて、ええなあ。勉強もようでけるし、友達もいっぱいいてるし、きれいし、お母さんは、あんたをほんま、ええ子に生んでるなあ」

どこがや!好きな事、言うてるわ。


3歳の頃から、お母さんには私しかいなくて、私にはお母さんしかいなかったね。

お母さんを初めて、ニューヨークの自由の女神に連れていった時、その頬には涙がつたっていた。夜景に映し出された自由の女神は力強く、美しく、「自由」という言葉を投げかけていた。全然「自由」でなかったお母さんの人生に。

星空の下、つぶやいてたね。

「お母さんは教師しか、なるモンなかってん。医者になりたかってんで。けど、お金もないし、そこらに大学もないし、なれへんかったんや。そらアカンわな。けど、百姓か教師か、言われたら、教師がよかってん。おばあちゃんは百姓で苦労したから、よう言われたで。学校行って、百姓以外の仕事を見つけや、って。

自由の女神って、ものすご、ごっついなー。きれいやなー。
あんたはなりたいモンになりや。好きな事しいや。好きな事せんとアカン。自由にレッツラゴーやで。」

笑うわ。ええノリしてるよ。感謝してるよ。

自由という名の娘より。草々

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『アリゾナヒート」

うちのダーリンのおっとうはメキシコの国境のアリゾナ州に3年前に、引越した。土壁のメキシカンスタイルの家、アドベスタイルと呼ばれるオレンジの四角い家に新しい奥さんと住んでいる。

飛行機に2時間半を2回繰り返して、私はベトナム戦争時代の若者を描いたTim Obrienの ”July July”を半分読み、ダーリンはREMを聞きながらコンピュータゲームを飽きるまでして、着いた。

アリゾナは砂漠の地。その日も朝から40度を超える暑さ。空気が乾燥して、さっぱりしてるとはいえ、40度は暑い。そして自然の風景が殺風景で、サボテンとピーカン畑の木、それ以外には無理に栽培されたバラやパンジーがちゃらちゃらとキモチ悪く色を添えるくらい。山々は、しっかりハゲで、ハイウエイから見える風景は山にぶしょうひげが生えた感じだった。

翌日から、ダーリンと私、おっとうと奥さん、でゴルフをする。アメリカのゴルフは日本と違って、誰でもする。ビンボー、下手、マナーを知らん私でもする。ゴルフみたいなダサいスポーツできるかって思ってたけど、なんでもやってみたい私に、ノーはない。

おっとうはゴルフ大好きじいで、刑事を退職してそそくさとゴルフ毎日人生を送っている。奥さんは、警視庁の事務長を退職して、得意のマラソンを続行して、ゴルフもへのかっぱに見えた。二人とも60代前半で好きに気楽に、クッキーフェイスのチワワと暮らしている。

40度の中、ゴルフをするバカ。私はヒートに気絶寸前。ダーリンも顔が真っ赤。元気なのはおっとうと奥さんだけ。アリゾナは老後人生の地と言われていて、ゴルフ場ったら、みんな老人。とにかく元気。信じられなかった。バスで席を譲って欲しいのはこっちや!

ゴルフが終わって、バーで飲んだ。私もダーリンもへとへとで、酒を飲む元気すらなく、ソーダを飲むが、おっとうと奥さんはビールをグビグビっと3杯。他の席の老人達もジョッキで飲んでけつかる。

ここでは年寄りをひ弱きものと思ってはいけない。不毛の砂漠にゴルフ場を作り、安くてうまいレストランをはやらせ、不動産を吊り上げ、老後を突っ走る。誰かが何かに文句つけても、ボケたふりしてかわす、素早い身のこなし。緑がなくそっけない砂漠も見て見ぬフリの柔軟な構え。ストレス背負って、ちまちま今を生きる若者は決してかなわない。

おっとうは目がたるんだのをちょいと整形し、ゴルフシャツをオシャレに着て、若いウエートレスにジョークをかます。もうすぐ父の日、ダーリンはおっとうにコンドームセットを送るそうな。もう一度いってしまおう。ストレス背負って、ちまちま今を生きる若者は決してかなわない。おそるべきアリゾナ老人ヒートであ~る。

***

「ロシアの細木」

ドクターメレケスは、いつ見ても同じヘアに、同じメイク、アニマルプリントのシャツである。日本のテレビで見た細木数子さんにそっくりのロシア人のお医者様。

細木さんのように、目をじっと見て、犯人調査のように「なぜ来ましたか?」で始まる。私は、どこがいつからどのようにイタイ報告をする。言葉ひとつ間違えたら、どんな痛いとこつかれるか、って細木さんの感じと、ドクターメレケスの感じは同じである。ちょっと怖い。

診察が終わって、「保険はあるの?」と聞かれる。
、、、ない。

アメリカの保険は日本と雲泥の差といっていい。日本は収入に応じた国民保険があって、貧しい人は貧しいなりに、少しの額で診察してもらえる。日本は日本なりの問題があるだろうけど、アメリカはとにかくひどい。公共の保険がないから、自分で買う。ということは、買わない人には保険はないということ。ちなみにこの小さなサラソタの町の診察料でも100ドルから200ドルする。尿検査は20ドルに始まり、レントゲンは100ドル以下でない。その全ては診察料に加算される。そして「切ったら(手術)100万円、寝たら(入院)200万円」てな例え話は本当の話。

保険がなかったら、破産してしまう。けれどこの保険もまた高い。保障のつくオフィスの仕事にでもついていれば、保険はつくけど、自営業は困る。毎月300ドルから保険代を払う。うちならダーリンと二人で600ドル。そしてそれが、全部カバーせず、薬、歯医者は自前。

私は数年前、救急車で運ばれた時、差し出された薬のひとつひとつに、いくらかかるか、聞いたくらい。痛み止めのピルに10ドルなんて、けつかったから、頭にきて、自分のかばんの中の常備薬の痛み止めを飲んでやった。

ドクターメレケスはそんな私の顔を見て、ため息をひとつつき、請求書の100ドルを消し、80ドルに変えた。そして、薬を引き出しからだして、くれた。買わなくてすむように。強気をくじき、弱きをたすける、正義の味方なのである。

感謝する私に、ドクターメレケスはすっごい巻き舌のロシアなまりの英語で、「薬の後もまだ痛かったら、電話してきなさい。こら、返事は?」「ハ、、、ハ、ハイ。」ロシアの細木の貫禄に言葉が出なかった。

***

「39度」

からだ ちょっとこわれた
ゆめが ひょっとはがれた
あめが そおっとまかれた


ちょっとしたことで  壊れる
ひょっとして      幻燈なら
そおっと         確かめたい

体、夢、雨、熱39度

***

熱でうなってるところへ、エージェントから電話。

私のエージェントはなかなかノリがよく、友達みたいに話すことがよくある。
そこで、彼女がいっぱつ喋りまくる。話題は彼女のダチ、ジェリーとソフィアのおもろい話。

ジェリーはみんなから愛される校長先生で、教育委員会のボスになる選挙に立候補した。ソフィアは高校の先生で彼女のサポートに奮い立ち、選挙活動に朝から晩までチラシを配った。ジェリーはイギリス人の母に自由と平和を教え込まれ、ピースコープ(海外青年援助隊)に参加し、そこで一緒の村にいたアメリカ人の医者と結婚した。フロリダの貧しい地区に住み、恵まれない子を養子にし、本がない子達のため家を図書館にしている。

ソフィアは川沿いの金持ちの家に生まれ、何不自由ない暮らしを無駄遣いせず、教会の孤児の先生として捧げている。この似たような似てないような二人はなぜかすごい仲良しで、ソフィアが我を忘れてジェリーの選挙に走り回ったのが目に浮かんでくる。

で、エージェント on the phone いわく、、、

結局ジェリーは敗れた。それも権力を奮いまくるバカ殿に敗れた。二人は悔しくて悔しくて、旅に出ることにした。ソフィアのボートでセントジョーンズリバーをジョージアのサバナまで約60マイル。二人で渡ることにした。小さな航海のつもりだった。

ところが。ほんの1時間でフロリダとジョージアの州境を越えるはずが、5時間近くたっても、州境なんてサインが見当たらない。この二人、ひどい方向音痴。5時間たっても、その方向の間違いがわからなかった。ワインはすでに3本あき、もう飲むものがない、というところで、おかしいなーと、やっと思った。

夕方に近づき、嵐にみまわれた。強風と豪雨が二人のボートをさらい始めた。
危険を感じたものの、二人の酔っ払いは、喋るのに忙しく、笑い声はあたりにとどろき、そのやかましさにパトロールの舟がきて、救助された。

私は、その話を楽しんでいた。50歳の女二人、立派な教育者、コミュニティが敬う母、でも何よりもただの友達同士ということ。航海に出て、酔っ払って、救助されて、楽しかっただけのこと。女の友情バンザ~イ!

私のエージェントは、警察からの電話を聞き、迎えに行き、着替えとサンドイッチとワイン3本、ゴスペルのカラオケセットを調達した。夜中じゅう3人、船で歌いまくったらしい。「なんで私も呼んでくれへんかったん!楽しゅうて熱が下がったやろうに!」怒鳴る元気が出てきた。
「Next time, baby. You chill out! Bye.」ガチャ。

***

「ドミノ交通事故」

えー、嘘やろー。車にあたられた。

*2時25分 信号待ちしてたら後ろから、ガシャン!きゃー、とひと叫び。

*2時26分 聴いてたエラフィッツジェラルドを止めて、コンニャロと怒る。

前の車のにいちゃんが出てきて、状況判断し携帯で911。

*2時30分 後ろのドライバーのおばはんがガキを二人連れて外に出たので、私も出て、どうなったかを見る。おばはんは後ろから当たられて、私に当たった。4台の玉突き事故だあ。

前の車のにいちゃんがケガはないか、と冷静にきくので、私も冷静に、おまへん、と答え、おばはんはコーフンのあまりに3オクターブ高い声で、「後ろのドライバーは酔っ払ってるのよお!そおに違いないわあ!!!」3回同じことを叫んだ。

*2時40分 警察到着。全員に免許証、レジストレーション、保険を出したまえ、ときた。
私は保険会社に電話。保険のマリーは「Drivers exchangeをそこで警官から受け取るから、それを必ずもらって、後で電話してきてちょうだい」

*2時50分 もう一人の警官が到着。車のダメージを見てるだけ。おばはんは冷静という星からはかなり遠くに生まれた。警官を相手に、コーフンのるつぼで後ろのドライバーをなじる。キモチはわかる。

*3時
警官からペーパーをもらい、全て終わり。警察は状況を記録にとるだけで、誰のミスかという判断はしない、とけつかった。状況は、おばはんをあてた車のオカンドライバーが加害者。3人のガキを乗せてて、後ろであんまりやかましいので、怒って後ろにこぶしをあげ、同時にハンドルを切ってしまい、アクセルを踏んでしまい、で、前のおばはんの車にあたり、そのおばはんはその勢いで信号待ちの私に当たった。

*3時2分
解散。

*3時5分
前の車のにいちゃん「運の悪い日になったな。コーヒーでも飲んで、気分を変えようか?」
あたし「せやな、そこのドーナツ屋に行こかいな」

とりあえず、自分が加害者でなくて、よかった。加害者がちゃんとした保険を持っててよかった。(安い保険だと、なかなか支払いがこなくて、1年以上の頭痛になることあり、って、よく聞くから)誰にもケガがなくてよかった。ドーナツ甘くてよかった。空が青くてよかった。

*11時PM よかったと言えてよかった。(続く)

***

「ドミノ交通事故、の続き」

車を修理屋に持ってく。

保険屋のマリーが言う。トヨタのディーラーならコネクションがあるけど、他のとこに持っていってもいいわよ。

コネクションがあるなら、そこに持っていくのが一番いい。ただでさえ、ミスの多いアメリカ。コネクションがない保険屋と車のディーラーなんてのは信用ならねえ。

トヨタへ行くと、車のドアがはがれたのや、半分ぺちゃんこなのや、屋根に大穴があいてるのや、があった。どないして屋根に穴をあけたんやろか?

マネージャのジャックはデジカメで写真をとり、保険屋に電話し、慣れた手つきでコンピュータに入力し、見積もりをくれた。机にはブロンドのプードルみたいなねーちゃんと撮った写真があった。50歳位かな。慣れた口調で、デーハな趣味の悪いネクタイをいじりながら、
「保険は今の段階ではあんたのクレームで行くが、プロセスが進むに従って、加害者のクレーム番号に変わるから」
オラオラ、待たんかい。なんで私のクレームになるねん。私の保険で払うなんて一言も言うてへんで!

保険屋のマリーに電話。
「そうねー。今調べたら、あなたのクレームから加害者のクレームに行く段階にあるみたいだわ。だから2日位で、トヨタに連絡が行くと、思うわ」

アメリカの保険屋の「思うわ」を信じてはいけない!
あたし「プロセスが遅れて、修理代の支払いに間に合わなくて、結局は私の保険を使うことになったらどうするの?」
キャンキャンキャン!私はかみつくチワワかいな。

アメリカでは、約束の仕事が遅れるなんて、3時のおやつより当たり前のことで、こっちがえらい目にあうなんてのは、朝のコーヒーより確かなこと。

自分の保険で払うことになると、deductibleは払わされるわ、査定にはつくわ、保険の支払い金は上がるわ、キャンキャンャン! 再びほえてかみつくチワワの私。

保険のマリー「普通は、2日もあれば大丈夫よ」
さよか。ほなさいなら。

月曜日にもう一度確認の電話を入れて、火曜日に車のパーツが入ることになった。

ジャックと握手して、チワワはおうちに帰った。

***

「ドミノ交通事故、後始末の章」

加害者の保険を使って車の修理にいくためには、電話で確認がいる。

担当者が電話に出るのを待つこと15分。

「まだ担当者が他の電話に出てるから、明日電話してもいい?」
返事は、ノー。絶対、ノー。

アメリカの保険会社に明日はない。明日にかかって来るだろう電話の可能性って、パンダの妊娠より薄い。

担当者がオフィスにいるときに、とにかく話をすましてしまわないと、結局は後回しにされて、知らない間に自分の保険で修理費を払ってしまうことになる。

新たに待つこと20分。やっと担当者が出て、私は状況を証言して、終了。加害者の保険でいくことになった。

交通事故の後始末は必死のパンツでかからねばいけない。アメリカ国民ってみんなこんな必死のパンツで生活しているのだろうか?おそろしい国にきてしまった。

***

「人である条件」

外でシャワーを浴びる日々が続く。

最近の雨で下水タンクの水かさが下がらないので、水を大量に使うとやばい。溢れ返って、トイレで流した水が下に下がらないし、シャワーの水は流れないし、洗濯も無理。

市の下水が届かない田舎に住むとこうなる。

田舎ピープル修行10年の私はこれでメゲないよ。洗濯はホースを外に切り替え、トイレは外の木の下、シャワーも外なのよ。シャワーが外にある不思議な家だなーと実は前から思ってた。これに備えてなんだ。

もう1週間。

野生の鹿が私のオシッコを退屈そうに見る。私は枯葉カーペットをもぞもぞする虫の個性ある容姿にも慣れて、夜はアルマジロの音にドキッとすることもなくなった。

シャワーの時は、空に字を書大きな鳥を見てる。 今日はなんの字かな。

暑い午後の外の水シャワーは気持ちよくて。太陽がぬれた肌に射すと、気持ちよさに何もかも忘れてしまいたくなる。

裏の小川には魚が泳いる。私はタオルをまいてうろうろしてた。
魚は水を得て魚だな、鳥は空を得て鳥。


じゃあ人は何を以って人というのだろう?

***

『坊やの海」

日本人留学生の23歳の男のコがカリフォルニアから遊びに来た。知り合いの息子さんで、彼のこと、私は全く知らない。

タンパの空港に車で拾った。グッチのかばん、ヴィトンの財布、ゲゲゲの鬼太郎ヘア、の、どっかの坊チャンだった。無口で、表情がなく、車の中でもほとんど喋らない。どこに行きたい?何がしたい?と私が訊くと、「おまかせします」と言われてしまった。そういう返事が一番困るのよ、ぼうや。

アスファルトが銀に照り返す空港を出て、車の中では、彼が「なんとなく」好きだという井上陽水をかけていた。
彼の携帯がなった。カリフォルニアの友だちからで、アイム イン フロリダ、イッツ ホット とかなんとか、英語で話してた。英語学校の韓国人の学生3人が「良い友達です」。

北朝鮮、韓国と日本の緊張が高まるなか、彼には複雑な思いがある。唐突に彼は言った。
「ボクたちはこんなに仲良くできるのに、なんで国同士は仲良くできないんでしょうか?」

「血に染まった歴史の傷跡は、カンタンに消えないんじゃない?でも、アンタの言ってることはモットモだと思うよ。」

私は陽水の「夢の中へ」を聴きながら言った。


英語学校の韓国人の友達の一人というのは、彼の恋人だった。でも、彼女から、韓国の親は反日で、「結婚できないから、別れて欲しい」と言われた。

海を渡るサンシャインスカイブリッジで、彼は「海を見ていいですか?」と言った。私は車を水際に止めた。彼は瞬きをしながら、少しの間、見つめていた。色とりどりのカイトサーフィンがきれいだった。海の向こうが広く見えた。

「ね、ゴルフの打ちっぱなしにいこうか?」

ぼうや、ねえさんについてきな。

***

「単純な頭、複雑な世界」

あるアフリカの昔話。

村一番の背の高いやしの木にある鳥が渡ってきた。美しい声で鳴く鳥はすぐに村の評判になった。
王様がその評判を聞いて、一体どんな鳥だ、とお聞きになった。王様は目の見えない方たっだ。東の部族がやってきて、
「王様、それはそれは美しい鳥です。声だけでなく、なんという美しい羽の色でしょう。燃える夕日のような鮮やかな赤でございます」と申し上げた。
西の部族がそれに続いた。
「王様、それはそれは美しい鳥です。声だけでなく、なんという美しい羽の色でしょう。晴れた空のような鮮やかな青でございます」と申し上げた。

王様は訊かれた。「赤なのか?青なのか?」
その答えに、どちらが正しいかと、東と西の部族が争いを始め、殺し合いが始まった。

王様は仕方なく、お后様を連れ、その鳥の止まっている木におもむいた。お后様はその木を注意深くひと回りして、目の見えない王様にお伝えになった。
「東側の翼が赤、西側の翼が青の、鳥です」

終わり。.*:..。o☆ ゜.  
o○ ゜.*:

王様は目が見えないけれど、このお話の中で本当に目が見えてないのは、誰だろう?

見る角度によって、全く違ったものに見えることなんて、よくある。見えない事実、見たくない事実、に単純に視力を失うことだってある。

日韓関係の歴史の論文4つめを読み終えた。
戦後の日韓関係は、朝鮮の南北統一と条約の合法の基準と利害関係がありとあらゆる色をつけ、角度ひとつで全く違う何枚もの絵だった。私のチョロイ頭では理解しきれなかった。

こぉんな複雑な世界に生きてる自分が信じられない。

***

『マイアミパンクラプソディ」

マイアミの琴コンサートリハーサルの帰りは夕方だった。夕日が空に色を塗り始めていた。

高速道路にのって、車が4車線の道が混みだしたところでタイヤがパンクした。

コンヤロー!

違う、怒ってる場合やない。さっさと取り替えないと夕日が落ちて暗くなってしまう。車を脇に寄せて、ハイヤラハイ、トランク開けて、お琴出して、音響のスピーカー出して、衣装のスーツケース出して、椅子出して。なんで椅子なんて入ってるねん。はたから見たら家出やがな。

はー。やっと換えのダイヤを出した。小雨が降り始めた。あー!お琴が濡れる!どないもこないもない。とりあえず車の中に入れる。あー!スピーカーが濡れる!スピーカーを入れる。

ほんで、と、何してたんやったけ?

パンクや。そやそや。暗くなる前にとにかく、どうにかせねばねばねばねば。えっとジョッキであげる前にねじを緩めるっと。硬いがな。50キロ160センチの全てをかけてまわすがまわらない。まわれー!コノヤロー!

大きな2トントラックが後ろにとまった。若いトラック野郎が降りてきた。
「手伝ってあげるよ」と道具箱を持ってきて、ねじを緩め、ジョッキであげ、あっという間にタイヤがはまって、重い荷物をまた車の中に入れてくれた。

「ありがとうございます。本当に助かりました。暗くなったらよく見えないし、車も混み始めて、雨まで降ってきて、、、」
「もっと早くに止まってあげたかったんだけど、最初に見えた時には通り過ぎてしまったんだ。で、次の(高速道路)出口で降りて、またこっちに引き戻してきたよ」
「え?ひとつ出口先でわざわざ降りて、反対方向に戻って、またここまで引き戻ってきてくれたの?」

私はびっくりしてしまって、お礼のしようがなかった。こういうのをデートのきっかけにするつもりかな、どうしようかな。困ったな。
「お礼に何かしたいんだけど、お金じゃ、失礼ですか?」
「いいよ。何もしなくて。
オレには3人の妹と母さんがいるんだ。みんな運転してるだろ。心配さ。タイヤの取替えなんて、あやしいもんさ。特に母さんがね。だから、もしパンクしたり、エンコしたら、道で誰かに助けてもらえたらいいなって思うんだ。
だからオレもそのつもりで、助けるようにしたいんだ。特に女の人が困ってたらね。(笑)」

そう言って、道具箱をかかえて、さっさとトラック野郎は行ってしまった。

小雨はもう止んで、低い空が、まるで虹をばらまいたようだった。そして高い空から夜の翼が降りてくる。私は胸がいつまでも熱かった。


***

踊れアメリカ!

ふーむ、これをどう説明すればいいんだろう。

小学生サマーキャンプ(夏期講習)に親が参加するイベントに呼ばれた。そこで出会った、中国人のフェイは10歳の女の子。笑うと私みたいに目がなくなる。で、お母さんとお父さんは金髪に青い目の白人で、赤ちゃんを抱いてる。その赤ちゃんはインド系の浅黒い肌。

他には、と見渡す。このインド人夫婦は、息子が白人の12歳で、妹は目がクリクリの双子のフィリピン人。

他には、とさらに見渡す。50歳くらいの白人のオバサン、息子のひとり、2歳の韓国人のボンをあやしてる。

ふーむ。みんな養子なのだった。アメリカでは時々見る風景だ。今日はそういう家族がグループを作ってイベントをしているのだそうだ。

巻き毛に緑の目の、キャサリンは言った。
「何年か前、中国に行った時、赤ちゃんがドアの前に捨てられているのを、たくさん見たわ。それで養子にしようと思ったの」
彼女はうなずくと、首の十字架が揺れた。

さっきの白人のオバサンは独身で、4人もの養子を育てたという。みんな韓国から引き取った。
「なぜ、韓国の子にしたの?アメリカ人の子の方が、やりやすくない?」
私のつまらない問いに、彼女はつまらなさそうに答えた。
「同じよ。どこの国の子も。縁があっただけ。赤ちゃんの頃に養子にして、ずっとアメリカにいるから、この子達はみんなアメリカ人よ。子供達もそう思ってるわ。」

ショーの後、彼女の娘の7歳のサミーが、一緒にランチを食べたいというので、イベント会場の食堂に他のガールズとみんなでくりだした。親たちが持ち寄ったアジアンフードのバイキングだった。サミーは子犬みたいに走りまわって、餃子とご飯をほおばるとアンパンマンみたいだった。韓国の海苔を両手に持って「これ私の大好物!」といって、次は英語の歌を歌い出し、他の連中と踊りだした。

22歳でアメリカに来た私は、アメリカに住む日本人。赤ちゃんの時に養子に来たサミーは韓国を知らないアメリカ人。一緒に輪になって踊った。輪はどんどん広がって、いつの間にか全員で踊った。

***

「ディランのおばあさん」

Bob Dylan's Grandmother once said to little Bob.

Happiness is not on the way to anything. Happiness is the road. And make sure to be kind to every people you meet. Because everyone is fighting a tough battle of life.

Thank you, Grand-ma and sweet dreams to everyone I met today.☆ ゜.

.* ☆ ゜.*:..。o○ ゜.*

ボブディランのおばあさんが、子供だったボブにこう言ったことがある。

シアワセは何かの途中に転がってるもんじゃないんだ。シアワセって道があるんだ。だからね、出会う人々に優しくなきゃいけないよ。みんなして、人生っていうタフな戦いの中、生き抜いてんだから。

おばあちゃんに感謝して、私は今日出会った人々に心をこめて、おやすみなさい。
.*.☆ ゜.

***

『キスをした午後」

北海道の絵を描くのが好きな少年は、いつしか彫刻にのめった。

高校でゲイの美術の先生のヌードのモデルをした。夏休みの秘密の二人のプレイだった。

彫刻は彼をいつしか巨匠にし、アメリカに渡った。ところが、アメリカで、彼はあまりにも無名だった。いちから始めた。

とてもチャーミングなアメリカ人と恋に落ちた。二人で住み、幸福な日々を過ごした。ゲイであることはもう隠さない。

繊細な彼の作品は売れ始め、再び巨匠と呼ばれた。そしてその頃、彼は全てに自信をなくし、毛が抜け始めた。深く暗い闇の世界が彼を包んだ。

はたから見たら、何を言ってあげていいのかわからない。幸福の中にありながら、何かが彼を闇に包む。

一緒にチャイニーズのえびのランチを食べながら、つい、元気をだしなよ、って言ってしまった。

誰の心の中にもある光と闇。つまんないこと言わず、そっとしてあげたらよかった。

かたいハグをして、私は彼の髪の抜けた跡に、わからない位の小さなキスをした。

***

「Japanese Storytellers」

Japanese Storyteller の同業者で、マサチュセッツ州の仲のいい友達、と長電話。

彼女もマイム出身で、彼女の作品はオモシロイ動きが、詰め込まれている。そして彼女は言葉のセンスが良い。英語の発音にしても、Nativeじゃないけど、クリアでぐっとハイってくる。「あたり前田のクラッカーやで、文学少女やったんや、わたいは、」とのたまう。

で、電話の会話。

☆(アタシ)・・・せやねん、今度は小さな舞台で、GHOST STORIESをするねん。どんな題材を使おうかな、って・・・

○(彼女)ふぅん。オバケの話やな。耳なしホウイチはどない?

☆ホウイチの話、いいね。あの耳がなくなる話やろ?

○そうそう。うちの彼とあの話をしてて、彼いわく、それやったら、いっそのこと、ちんなしホウイチってどうや?って。
耳にお経を書くのを忘れて、侍に耳だけ切られるところを、彼のチンに書くのを忘れたってことで、チンが切られるってどお?アハハハハ。

(彼女の彼氏ってAfrican Storytellerで、昔話や神話を自分流にアレンジするのが大得意で、しょっちゅうこの手の話を聞かされる。)

☆(笑いが止まらない。)あんたに相談して損したわ。

○ごめんやっしゃ。ほんで、どのお話にするのん?

☆のっぺらぼうがしたいなー。お面を使おうかと思うけど、アレってすんごい怖いで、実際にお面にして顔につけたら。

○そんなん言うたら、お面なんか、どれも怖いで。怖いと思って作ってたら、怖いもんになるって。違う思いで方向性を作っていったら?

☆せやな。ええこと言うやん。

○せやろ、おいどのかゆいところに手が届く私よん。

☆おいど?X$%^ 誰が言うねん、そんなコトバ!(爆)

この後、私達の会話は「アコヤの松」という、松の精霊と娘の恋物語をどうやって台本にしていくか、というビジネス会話から、彼女のバカ・ボン(息子)の話、そして再びマイムの話、私の新しい衣装の話、締めに最近二人ではまってる自作のJapanese Rap を合唱して終了。

1時間47分。早朝2時のことでした。

***

「べストでないときのベスト」

タイコンドウの試合が迫っている。

タイコンドウは韓国の空手で、試合は蹴り中心のスパーリングと、空手特有のカタから成る。スパーリングはキックボクシングに似ていると思う。カタはいくつかの攻めと防御のパターンを組み合わせ、ひとりでそれを見せる。そのパターンは流派と師匠によって違う。

フロリダの州の大会は、ジュニアとシニアを合わせ、毎年2000人位が競う。

私は、道場で、師匠に、出ません、と言った。今年の私はトレーニング不足で、試合に出れるような状態じゃない。スパーリングでは、頭と胸のギアをつけていても、黒帯のリーグでは時々スゴイのがいて、ヘタに蹴りを受けると、痛い。負けると特に痛い。(経験あり。)

師匠は相変わらずグッチのシャツで、アクションスターみたいに、カッコイイ。にやっと笑って言った。
「トレーニング不足だからこそ、出るんじゃないのか?」
「は?」

「トレーニングの時間が十分にとれて、体調もよく、って時、勝つのは当たり前さ。たとえ負けても自分は一生懸命やったんだって言い訳がつくさ。

(外から入ってくる生徒達のお辞儀に、お辞儀をしながら)
練習時間がなくて、自信がなくて、それでいても勝つ、のが黒帯じゃないか?そして負けるにしても、どう負けるのか、だろ?」

「あえて負ける試合に出るってこと?」

「人生はいい時ばかりじゃないさ。勝つ試合ばかりじゃない。じゃあ、負けるとわかってる試合は避けて通るのかい?」

師匠は私と同じ年の韓国人。17歳の時、ソウルから家族ごと、アメリカに移住した。

3年前の離婚の時、前の奥さんがその離婚を理由にか、自殺した。新聞にのった。ニュースに報じられた。彼がひどい離婚をしたんだろう、の非難があちらこちらからあがった。実際に彼の浮気が原因だったので仕方なかった。その翌日、彼は道場を休まず、周囲を驚かせた。生徒と親達の、非難と同情の目に、じっと耐えた。

3年前、、、。フロリダにしては変に寒い冬の頃だっけ。

帰りの車の中、私には、彼のそんな過去が、彼の言葉と重なった。

負けにどこまで耐えられるか?ベストじゃない時のベストをどう出せるか、、、、そこに自分にしか出せないベストがある。


明日、試合の登録書をもらいにいく。

***

「おばあちゃんのウィンク」

歯医者に行った。

完全予約制の歯医者で、待合室はいつもほとんど人がいないのに、今日は珍しく、おばあちゃんと孫チームが座っていた。

おばあちゃんは真っ白のふわふわの髪、真っ赤なゴルフシャツの襟をたてて、大きな銀のかたまりみたいなペンダントをしてるのがとてもおしゃれ。70代かな。足が悪いのか杖を横においていた。
孫は退屈で仕方なくて、私の方へやってきてジロジロと、遊んで欲しい光線を発する。
「(ジロジロ)明日、わったしのオッ誕生日なのって知ってたあああ?」
「ふーん、そうなんだ。知らなかったよ。いくつになんの?」
まだ赤ちゃんみたいな手をぐにゅぐにゅさせながら、3本指をたてて言った。
「5さい」

ははは。

孫はおばあちゃんのところにジグザグに歩きながら戻った。

「(おばあちゃんの手にしがみついて、ごろごろしながら)この指輪なあに?」
「これ、は、アメジスト」
「ほんじゃあ、これは?」
「サファイア」
「これはあ?」
「こりゃ、ダイヤモンドじゃがね。」

「どの指輪が一番好きい?」
「どれも好きだよ」
「えー、どれかひとつだけって言ったらどれえ?」
「全部、一番だよ。」
「だめえー、いっこだけ、言って!!」
「あのね、アメジストはアメジストの良さがあるの、サファイアもそう、ダイヤもそう。どれが一番なんてのはないの。全部いい色、持ってんだよ!ニンゲンもそうだろ。」
「だってー、どれか、知りたああーい!!!!(床にごろごろ)」
「そんなこと言う比較バカは、この世の中に多すぎます。そこで寝てなさい」

比較バカって言葉に、私は思わず噴出しそうになった。彼女は私をちらっと見て、ウインクをした ゜.* 。o○ ゜.

イキなおばあちゃんのウインクだった。

***

「Baby Blue]

星の瞬きにもかなわない小さな世界を生きているにもかかわらず、この浮世、取り返しのつかないコトが多い。
言ってしまった言葉、ヤッテしまった事、事故、遅れて乗れなかった飛行機、おった傷、おわせた傷、負けた試合、刺青、、、、、え?イレズミ?TATTOO?

「はい、この英語の試験、TOEFL の500点がとれたから、記念にカラダに残る思い出を作りたいな、ってずっと思ってたんです。長い間、そうしたいって決めてたんです。」

空を映す青い海岸線をドライブしながら、21才の彼女はきらめく笑顔で言った。TOEFLに彼女は苦労し、2年かかって500点をとった。その彼女に家庭教師をしたのはふとした事からだった。

「いいよ。今日はアンタのお祝いなんだから、どこでもつきあってあげるよ。」
と、私は言った。彼女の日焼けした肌に窓の青がまぶしかった。きっとキレイなTATOOになるって思った。

Tattoo Parlor と呼ぶオシャレなブティックだった。ヒップな店が並ぶ中にあって、ヒップな子達が青い皮のソファに座っていた。絵や柄を見て、中に入っていく。決まったところで、18歳以上である証明をし、後で文句をいわないサインをする。まるで、ヘアサロンのような長いすに座って、歯医者のようなドリルで色を刻んでいく。小さな蝶と花がジーンズのローライズのあたりに入った。かわいくて、彼女は鏡を見て微笑んだ。

家に帰って、アメリカでの母親代わり(ような)の日本人の女性に、怒鳴られた。
「刺青はヤクザのすることよ!親がどれだけ悲しむと思っているの!」
私まで怒鳴られた。「21才」の彼女が、自分の意思でやったことを私に言われても、どう言っていいのかわからなかった。

なんにしても、彼女は結局、急に後悔のるつぼにはまり、取り返しのつかないコトになった。刺青はカンタンに消せない。レーザーで、大金を払った処置でも完全には、消えない。今では彼女は刺青を消すことに命を賭けているような、そんな状態でいる。
「お母さんを悲しませたくないから」
と言った。

青い海岸線をドライブした時の笑顔にはもう戻らない。

Baby Blue 違う笑顔で笑って欲しいよ。したくてしたんだから。

これを失敗と呼ぶのなら、失敗は誰にでもある。発明王のUncleエジソンは失敗の度に言ったって。「これが失敗だという発見をした(喜)」って、さ。いつか成功につながるって信じれるか、信じれないかってことなんだと、私は思うよ、Baby Blue。 ごめんね、力になれなくて。

***

『繋がり」

私はそこにいた。
黒と銀の「マシン」と呼ばれるトレーニング機器の並ぶジム。
誰も何も言わない。
どんなに歩いてもどこにも行かない、歩くマシンに乗り、低い天井に吊られた4つのテレビを同時に見ながら、繋がりのない時間が過ぎる。

私はそこにいた。
約束に遅れる人を待つためのカフェ。
外の小さな丸いテーブルにある、小さな丸い椅子で、雨を見ていた。
誰も何も言わない。
知らない同士の、繋がりのない人の列が、雨宿りをしていた。

私はそこにいた。
同じ地球の上に。
20歳のエディが自殺したそのときに。
何も言わなかった彼。
彼のルームメート、何日も気付かなかった。
カフェの新聞で読んだ、私とは繋がりのないお話。

どこにでもいそうな若者エディ。
繋がりのないお話?

翌日、私は公園にいた。
繋がっている私でいたかった。
誰と?
誰でもよかった。

ベンチで本を読んでいる私の前で、あるスケートボードの大学生がこけた。彼は何も言わないから、
「あいたたた、、」
と、私は彼の代わりに言ってあげた。
「Are you OK?」
と訊くと
「Yep,I'm cool!」
と立ち上がって、照れ笑いしたので、私も笑った。
「Have a good ride!」
彼の背中に叫んだ。
彼は振り向かずに、右手を上げた。

その右手がかざしたところに、フロリダでよくある夕暮れの小さな虹があった。

***

「大丈夫マイフレンド」

”Not again!”

ハリケーン・ウィルマのニュースを空港で聞きながら、私は隣の席のオヤジと叫んだ。
ニューオリンズのハリケーン・カタリナのチャリティショーの仕事からの帰りだった。チャリティしたと思ったら、今度は自分かいな?

去年の夏、ハリケーン・チャーリーやフランシスで、この辺りの家の屋根が、あれよあれよと飛び、
「あ、車が。あ、信号が。あ、スーパーマンが、、、隣のじいちゃんが、、、あーっ飛んでいくぅ!」
、、、だった。


今年は3日前から、ハリケーン・ウィルマが近づいて、これが今までにない強度らしい。フロリダ南部は非難する車でハイウェイが超ノロノロ運転。非難の命令が出てるのはほんの1部なのに、このパニックはきっと、ニューオリンズの恐怖にビビって、オシッコちびってるからよ My Friend。

実際は明日にならないと、この辺りに来るかどうかわからない。しゃあないから、私は大好きな市営プールへ泳ぎに行った。ハリケーンの心配で町がひっくり返ってる時に、のんびりと泳ぎまんねや。普段から5人もいないこのプール、今日は私ひとり。25メートルを行ったり、来たりして、真っ青な空に浮かんで What a lovely day!

1時間の青の世界を出て、私はプールの事務所の人たちと、じゃね、って言って、
”Be safe.”
と言葉をかわした。町はこの言葉に溢れてる。こういう時の決まり文句らしい。

Be safe、My World.
真っ青な空が夜の闇に消えた頃、私は、星のない夜空に願いをかけた。
フロリダが無事でありますように。
世界が無事でありますように。

☆ ゜.*:..。o○ ゜.*

***

『いらんもんばっか」

朝の4時半にニュースを見て、ダーリンが言う。
「非難命令が出た時、何を持って行きたいか、だよな。。」
ハリケーン・ウィルマ来るか否か、まだわからない。可能性はあるので準備を今日から始める。

とはいうものの、去年のハリケーンのおかげで、電池だのろうそくだの非常食だの、全部揃ってる。準備と言われても困る。

非難の場合、、、
車1台で非難するから、持っていく物なんて限られてくる。うちは家具はないが、舞台の道具&機材が多く、それを全部積んで、やたらかざばるお箏を入れて、、、きゃー、それでいっぱいよ。
4台もあるコンピュータ、全部乗るかな?
大好きな本とCDはどうすんの?
服は?
キッチンのものは?
写真とかもキープしたいわね。
こないだいただいた昆布の佃煮は美味しいからキープよ。
ダーリンのリモコン飛行機も大事でしょ。
うふふ。

ポカっ。。。あいたたた。
「アホか、オマエは。そんなに持っていかれへんって言うてるやろ。言うだけムダやった。」

いざとなったら、きっと、思ってる物の半分も持っていけない。家がぺちゃんこになって、全てを失うとして、これだけは失いたくないというもの。それって何?

あとで買えるものは、おいていくしかない。じゃ、2度と買えない昔の写真や思い出のもの、、、はどうしよう?思い出、なくてもやっていける。でも置いていけない写真がいっぱい。

ダーリンが言う。
「何もなかったらないで、いいはずなんだから。LOVEだけ持ってこうぜ、ベービー!All you need is love hm hmhm ..」

鼻歌まじりで、車の中で聞くCDを選んでる。何がLOVEじゃ。要するに荷物つくりをサボリたいだけのこっちゃ。

私は大事な書類とコンピュータのメモリをCDにした後、スーツケースを広げ、家の中を見回した。テレビ、5つもある電話、もらったテディベア、10年前にイギリスで買った紅茶、宝物のアールデコの照明、、、持っていきはしない。

なくてもいいモノばかりに囲まれているんだな、私って。実は、、、。

結局スーツケースは着替えと洗面用具と非常食でいっぱいになった。ダーリンはゲームボーイとサングラスさえあればいいそうだ。

***

『感謝祭」

郵便局は長い列だった。
深いため息と共に並んだ。

長い列にブッスリした顔の人々の中、前にいたおじさんはにこにこと私に喋りかけた。

「どこに贈り物を送るの?」
「ミネソタの義母に贈り物なの」
「ミネソタか。私もミネソタには3ヶ月に1度行くんだよ。メイヨクリニックってのがあるだろ?」

メイヨクリニックは世界有数のクリニックで世界中から患者や医学者が集まる。

「末期のガンでね。最新治療を受けたくて行ったんだ。放射線治療だけでなく、ステムセル治療もね。」

彼の頭は放射線治療の跡からしばらくたって生え出した毛がとても薄かった。70歳くらいのおじさんで、デニムのシャツがそばかすだらけの肌に似合った。

「おじさん、一命をとりとめたのね。」
「ああ、命に感謝してるよ。でも、痛みは想像を超えたよ。」
私はどう言っていいのかわからなかった。
「それだからこそかな。人生で大切なものがわかったよ。」
5歳&3歳位のどっかの姉妹が郵便局の手すりにぶら下がって遊んでいた。おじさんはそれを見ながらそう言った。

「治療を受けるのはたいへんだったでしょう。巨大な医療費だったろうし。」
月並みのつまらないことを言う私だった。
「お金じゃないんだよ。命はお金じゃないんだ。」

おじさんはうつむきながら言った。
「人はお金を、そして目に見える富を、求めて生きているようだけど、真の富は目に見えないものの中にあるんだ。それがわかったんだよ。生きていてよかったと思えた瞬間にそう思ったんだ。」

長い列がいつの間にか、短くなって、おじさんは郵便局の窓口に歩いていった。私も行った。

別れ際に、
"Happy Thanksgiving! Have a good one!"
と私が声をかけると、
"Sure I will. You do the same."
とおじさんが手を振った。

私は、駐車場に歩く一歩一歩が、急に、何か、とても、かけがえのないものに思えた。

***

「桃太郎」

I’d like to see The Peach Boy story.
桃太郎の民話をして欲しいわ、と言われた。

時々、エージェントから、こういうリクエストが入る。
私は日本の神話と昔話を、マイム、音楽、踊り、などを使って、演じている。現代版にしたり、自分の脚色でしている。

桃太郎・・・ね。アメリカで紹介されている、日本の昔話で、一番有名なのはコレね。

ふーむ。

私のショーは自分で脚色するから、台本の際にかなり、考えさせられる。正直になれない=納得がいかない、ところは勝手に創りかえることになる。

私にとって、桃太郎は納得がいかないことばかり。
鬼が島の鬼を退治に行くねんで。
人を食らうという鬼やで。
桃から生まれた天才児やったら、わざわざ、鬼なんか退治にいかんでも、他にすることあるやろ。
いや、ボクしかいないって思ったわけ?

例えば、いまどき、天才児みたいなのが、おったとして、どっかに宇宙人が着陸して、片っ端から、人を食うてるで、ていわれて、「ボクが退治に行こう!」って行くか?
誰が行くねん。

犬、猿、きじ、がお供?
もうちょっと強そうな、熊とか、狼とか、鷹とか、やろ。ほんまやったら。
ほんで、きび団子。きび団子ひとつもろたくらいで、命をかけた鬼退治に行くかぁ?

ふーむ。

誰か、話し合いで解決しよう、とか、金で解決しようって言わないわけ?

解決せえへんから、殺しと退治に行くってこと?
だとしたら、桃太郎という名の英雄は、戦争に行く兵士のようで、私は、迷路に入ってしまう。世界中で、多くが戦死している今、私の桃太郎は、行方を求めている。

昔話はそういうこだわりを、よせつけず、語り継がれていく。

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「クリスマスソング」

レノンとヨーコのクリスマスソング
クリスマスの朝、コーヒー豆をローストした。

コーヒー豆は元々は緑。それをロースターという大きなオーブンでロースト、煎るわけね。で、そのオーブンというのはぐるぐる回って、熱を循環して、満遍なく焼き色がつく。

コーヒー豆は、ローストして数週間でかなり風味が落ちてしまうらしい。ほなら、家でせぇってことになる。緑のコーヒー豆をネットで仕入れ、フライパンを使ってする。初めてした時、あんまりの煙だったので、今では家の外でピクニックベンチにコンロをおいてしている。

最初の5分:大豆を煎ったような香ばしいにおいがする。
さらに10分::色が変わり始める。
さらに10分:::色がゆっくり変わって、私の好きなコーヒー色になる。

その間、私はそこに座って、ひたすらフライパンをゆっさゆっさとまわす。

雑木林に囲まれたベンチ。
いつものように鹿が5頭、来てはいなくなる。
りすは、すごい速さで木々を駆け回っていく。
空は秋空のように高く青い。

ダーリンが来て、私とすわった。

ジョン・レノンのヨーコとのクリスマスソングがかかっていた。

o○  。o☆ ゜. 。*:.。o○ ゜.* o..。o
o○

So this is Xmas
And what have you done
Another year over
And a new one just begun
And so this is Xmas
I hope you have fun
The near and the dear one
The old and the young

A very Merry Xmas
And a happy New Year
Let's hope it's a good one
Without any fear
And so this is Xmas
For weak and for strong
For rich and the poor ones
The world is so wrong
And so happy Xmas
For black and for white
For yellow and red ones
Let's stop all the fight

☆ ゜.゜* . .。o ○ ゜.*

コーヒーはだんだん焦げたにおいがし始め、火をとめた。

「ねぇ、今年は、私、何したかな?」
「コーヒーのローストがうまくなったさ」
「それだけ?」
「それだけじゃないさ」

「鷹だ」

彼は斜めむこうにある木に止まった鷹を指差した。

「ねぇ、今年は、私たち、何したかな?」
「鷹にきいてくれ」

メリークリスマス。

私は本当に何ができたのだろう?今年の一年。誰を幸せにしたのだろう?そして、誰を犠牲にしたのだろう?何を与え、何を奪ったのだろう?

鷹が飛び立った。煎りたてのコーヒーは甘く苦かった。

☆ ゜.゜* . .。o ○ ゜.*

***

『赤く青い雪」

英語で大晦日のことを、First Night という。

大晦日は日本みたいに、夜の11時半くらいから、秒読みをし、その瞬間に、めいっぱい叫び、踊り、抱き合う。

その時、私とダーリンは大晦日のイベントのショーの仕事でフィラデルフィアにいた。

FirstNightと呼ばれるイベントで、町をあげて、劇場やギャラリーを開放し、町の衆がショーをハシゴする。私はシンフォニーホールで、40分のショーを夜6時から11時まで3回、アフリカのアカペラ&ドラムのグループと入れ替わりでやった。ダーリンは教会のホールで3回、マジックのショーだった。

12時ちょっと前に終わって、さっさと帰りたいダーリンは私を乗っけて、ホテルに帰って、ハンバーガーをオーダーし、新年のキスをし、部屋で一緒に食べた。

ツアーの疲れもあって、彼はハンバーガーを食べ、酒を飲む力もなく、ノックアウトした。
私はハイネケンを飲み、外に出た。
新しい年。

雪が降って、綺麗だった。

子供たちは顔に落書きをし、大人たちは紙のラッパを鳴らして、道を行く。
花火があがり、私はそれを見ていた。

去年はフロリダの大晦日のイベントでショーをしていた。その前の年は、ボストンだっけ。その前は母と大阪だった。来年はどこのショーをしてるだろう?

そして私はどこに向かって歩いているのだろう?

明かりだらけの道に雪が赤く、青かった。ほんの一瞬、人ごみがきれて、私は一人で道に立ってた。通行止めになった大きなアスファルトの道がしぃんとして、紙のラッパの音が建物の中から響いた。明るい夜がいつまでも続き、まるで夢の中にいるようだった。

もしかして夢の中にいるのかも知れない。

そしてこれが夢だとしたら、夢の醒めた時、私は何を思うのだろう?
一年が嘘のように過ぎた。
良いことだけど思い出し、
嫌な事は忘れてしまいたい。

忘れられない悲しみは、
夜の空、
遠い星になって、
私を見つめていた。


これはほんの夢なのかも知れない。

O            *

.。 O

O            *