2011年3月7日月曜日

にほんごであそぼ

どの国の言語にも、その言語でしか味わえない深い部分がある。
翻訳したり、説明したり、しきれない部分が、
特有で、おもしろい。

ニンテンドーDSのゲームに「にほんごであそぼ」っていうのがあり、
あそんでると、何がそんなにおもろいと、ダーリンが訊く。
説明のしようがない。

斉藤孝氏監修だし、NHKの番組好きやし、気合が入る。





オタクのダーリンからもろうたニンテンドーDS。
あたしゃせぇへんって言うてるのに、、、
英語ばっかの空港で待ち時間にやると、
あたししかわからんもんねー、とかいう不思議な快感でにかつきました。

家に戻って、翌日。
調子づいて、俳句を作ったのでした。

雛祭り誰にも似ない人形よ

下萌えにかがみしゃがんで音を聞き

どれどれと首つき出して犬ふぐり

強東風をもろともしないおにごっこ


終わりには高浜虚子で春は来ぬ。

袖に来て遊び消ゆるや春の雪 虚子

草萌えの大地にゆるき地震かな 虚子

大試験山の如くに控へたり 虚子

2011年3月6日日曜日

初春の俳句


よく笑いよく泣くアネの雛祭り
                
日本で俳句の会に入っていたとき、よく先輩から言われた。そしてきっと再びいわれるだろう。
「この句の、アネ、をね、
母にしたらどうなる?
妻にしたらどうなる?
あまり句は変わらないわね。つまりアネ、である必要はないのね。」
「あのぉ、それってどういう意味ですか」
「それはもっとつきつめていうと、
季語の雛祭り、を七夕に変えてみたり、お正月、に変えてごらん。
あまり句のイメージは変わらないわね。
それは季語を生かした句ではないってことなの。
または言葉の本質を生かした句ではないってことなの。
その言葉でしか得られない俳句、を作ってごらん。」

なるほど。それは、むずかしい!

ところで、アネ、を姉にしなかったのは、
私の血のつながった姉でなく、友達でねーさんみたいに思う人を指しています。
こじつけやねんけど、個人的にそれでええ、としとこう。
ほんで、このアネの部分、
妻や母っていうとその句を詠んでいる人の顔が見えてきて、
やっぱ、アネとは違うと思う。
この私の句は、「アネ」ですよ~絶対。
満月のように笑い、虹のように泣き、
雛人形がなぜかねーさんらしい。

ねーさんは最近登場頻繁のNYの友達。
ちょい年上やし、昔NYでよくめんどうかけたし、
(今でもやんかっ、っていわれそうだが、、、、)
俳句にも登場してもらいました。

2011年3月5日土曜日

イサム・ノグチ 「Looking for frontiers」

イサム・ノグチの私のイメージは、、、


これも、入る。


山口淑子さんとの結婚。ハンサムでクールで、白洲次郎とちょっと重なるような人。この時代のカッコいい人っつうのは桁違いに強く、反骨精神に富み、見かけだおしではなかった。

イサムノグチは、
アートも桁外れで、NYのNoguchi Museumでびっくりした。
彼の作品はインテリアだけじゃな~い。わたし、知らなかったぁ。


マグマ大使みたいなでっかい作品から、コロボックルみたいな小さな作品まで、250もがこの美術館にある。え?250、、、すごい数。1922年がNYでのアートの始りで、それから約40年間の間に、インテリアデザイン、工業デザイン、彫刻、建築に渡る作品の数々を残した。この美術館はかつて彼のスタジオ。

日本の香川県高松市にも彼の美術館はあり、世界各地に彼の作品は広がる。いったいどんなペースで作品を創っていたのだろう?コラボしたアーティストは、モダンダンスのマーサ・グラハム、伊藤三千夫、そしてメキシコアートのリビエラ・ディエーゴ、フリーダ・カーロ、、、とリストは圧巻。

ピカソもすごいが、ノグチもすごい。

NYのノグチ美術館は、マンハッタンをイーストリバー越しに、エンパイアステートビルが見える。
NYのねーさんと車でしゃ~っと行く。静かな住宅街を抜けて、隠れ住みかみたい。
ノグチ庭園美術館、と名前にあるだけあって、外に庭園がある。


おもろうてやがて楽しい庭園。
屋内のギャラリーは2階建て、ところ狭しと並ぶ作品のひとつひとつにたちどまりました。

「Looking for frontiers」(フロンティアを求めて)と彼はいつも言ったそうです。とらわれのない心で、透明なつながりや空間を感じさせてくれました。
すごい人に会ったぁ、って感じです。