2011年3月6日日曜日

初春の俳句


よく笑いよく泣くアネの雛祭り
                
日本で俳句の会に入っていたとき、よく先輩から言われた。そしてきっと再びいわれるだろう。
「この句の、アネ、をね、
母にしたらどうなる?
妻にしたらどうなる?
あまり句は変わらないわね。つまりアネ、である必要はないのね。」
「あのぉ、それってどういう意味ですか」
「それはもっとつきつめていうと、
季語の雛祭り、を七夕に変えてみたり、お正月、に変えてごらん。
あまり句のイメージは変わらないわね。
それは季語を生かした句ではないってことなの。
または言葉の本質を生かした句ではないってことなの。
その言葉でしか得られない俳句、を作ってごらん。」

なるほど。それは、むずかしい!

ところで、アネ、を姉にしなかったのは、
私の血のつながった姉でなく、友達でねーさんみたいに思う人を指しています。
こじつけやねんけど、個人的にそれでええ、としとこう。
ほんで、このアネの部分、
妻や母っていうとその句を詠んでいる人の顔が見えてきて、
やっぱ、アネとは違うと思う。
この私の句は、「アネ」ですよ~絶対。
満月のように笑い、虹のように泣き、
雛人形がなぜかねーさんらしい。

ねーさんは最近登場頻繁のNYの友達。
ちょい年上やし、昔NYでよくめんどうかけたし、
(今でもやんかっ、っていわれそうだが、、、、)
俳句にも登場してもらいました。

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