2011年6月17日金曜日

父の日に想う私の父親体験。




2歳の頃から母子家庭の私ですが、父親体験というのはあります。

1)父の日のお絵かき

最初の父親体験は、ピッカピカの一年生。父の日にちなんで、父親参観があり、その日に壁を飾るオトウサンの顔のお絵かき。私はオカアサンのお顔をリカちゃん人形みたいに描き、お母さんの好きな赤をバックにクレヨンで楽しく塗りました。小川先生はにこにこ, 私は大得意でした。自分にとっては、お母さんは同時にお父さんなのでした。

いなくてさみしいね、というどっかのオトナの言葉も、一体何を意味するのか、わかりませんでした。

2)父の死への疑惑

「あたしのオトウサンはなぜいないの?」
と母にきくと、母は面倒くさそうに、死んだ、というのが常でした。

「なんで死んだの?」
聞こえないフリをする母にしつこく聞くと、病気やん、とありきたりの答え。

「なんの病気?」
うるさいハエをはらうかのごとく母は、知らん、とのたまう。

「いつ死んだん?」
ひつこく迫るわが子に母は、ずっと前、とその場しのぎの回答。

「どれくらい前?」
しつこいスタミナ抜群の私に母は、ずっと前で忘れたわっ、と投槍。


「いつやのん?まだ生きてるんやろ!」
激しい攻撃に出た私に母は、堪忍袋の緒がきれ、ついにどなるのであった。

「死んだっていうてるやろ!どえらい病気や、ずっとずっと前にコテンっといったんや!」

私も負けずにどなる。
「ずっとずっと前っていつっ?」

ここですごい返答が帰ってくる。
「ずっとずっと、ずっと前、アンタが生まれる前やぁ!はははっ!笑」


・・・・んなアホな、、。




3)真夜中の父親体験

というわけで、私は中学生くらいまで母の言葉に騙され、
父は死んだと思っていたわけです。
で、
小さい頃から、父は「いない人」で、
どこの家もそうだと思ってました。

友達やテレビが父親の存在を私に見せても、
「家にはいない人」で、夕方お仕事から帰ってきて、
夕飯を一緒に食べて、ちょっと晩酌して、
ほんで山に芝刈りに出るって思ってました。
で、朝になったら帰ってきて、ワイシャツ着て、会社に行くのだ~。
これでいいのだ~ ボンボンバカボン、バカボンボン~♪

つい歌って笑ってしまいそうですが、、、
これウソとちゃいます。ほんまにそう思ってたんです。

なんという子供時代だったのだろう。はぁ、、、。

中学2年生の時まで信じてました。
ところが、夏休みに友達の家にお泊りに行った時、
初めてわかったのです。事実が、、、

夜中に眠れなくて、台所にミルクを飲みにいきました。
すると、山に芝刈りに行ったはずの友達のお父さんが、お茶づけを食べているのです!
私は目が点で、翌朝友達から真実を知らされました。
だけど、なんだか、ピンとこなくて、現実と夢の間をうろうろしてる感じでした。
お父さんというのは私にとっては現実をこえて空想の世界で体験するもんで、
現実は何か空々しく、インケツに近く、
私の父親体験はこの日をもって終了。チャンチャンっ♪





2 件のコメント:

マグ さんのコメント...

フ〜ム,父親と言うか、おっさんの実際を受け止めるには多感で無垢なお年頃。しかも夜中に、お茶漬けをすする親父はクニちゃんにとっては未知の生物トの遭遇みたいなものだったのですね。

処で久々に映画館で映画を見ました。懐かしい体験でした。^^

kunikotheater2 さんのコメント...

その通り!未知との遭遇、ってその通り!それそれ。
笑っちゃいますよね。でもかなり真剣に信じてたんですよね。おとうさんが夜になると山に芝刈りにいく、って。(まだ言うてます。ひつこいねぇ~)

ところで、映画館で映画をみて、懐かしい体験というからには、かなりかなり映画館にいってないってことっすね。祇園会館とか昔はよく行きませんでした?