NYに2週間近くショーの仕事でいき、
滞在中にあたしの昔のアネゴのパーティーに招待されました。
着物を着てきてね、といわれ、え?
写真左で、わかったフリしてます、私。
アネゴはここ数年、NYで「お茶」を勉強しておられ、こういう話になってもおかしくないのでありました。
お茶のお友達、、、というか、師匠になるくらいの方々もこられ、
その後、右側でお茶をたてておられるお友達とアネゴともう一度会う機会があり、お茶のお話をきかせていただきやした。
利休のわびについて。
『南方録』、新古今集の家隆の歌
「花をのみ まつらん人に やまざとの ゆきまの草の 春をみせばや」
を「わび」の心であるとしている。
歌の意味は
世の中の人はみんな、「春といえば花」とばかり思い込んで、花が咲くのだけを心待ちにしているのだろう。そういう人に、融けかけた雪の合間から芽を出した草が萌え出ている、この山里の春の景色を見せてやりたい。
利休が意味したのは虚飾を去るわびの心であり、もっと深く追うと、花という最高の華やぎに近づいてこそ、「やまざとのゆきまの草」、飾り気のない美しさ、または無に近い美を知ることができる、ということらしい。アネゴ達の会話はさらに進み、最高の華やぎを知って掴んでこそ、飾り気のない美は、執着を捨てるわびの心になる。何もしらずにいて、美への学びがないままに、「やまざとのゆきまの草」をわびととらえるのとは違う。
ふ~む、なんと深いのだろう!
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