2011年7月15日金曜日

吉田博陽 aka 岳原遊 

唐十郎率いる オールスター赤テント。


寺山修司の摩訶不思議な天井桟敷。

1960年代後半から70年代の演劇の新しい風。
台風みたいな風やったんちゃうか、と思います。
なんやってん、今のは?っていう、
服を無理やり脱がすような破壊力っつうか、なんちゅうか、、、。

私は高校生の時、寺山修司の本を読んで’、特に短歌に感動しました。
ほんで大学の時、天井桟敷の「レミング」を大阪で初めて観た。
さっきも書いたけど、
なんやってん、今のは???って感じで、もいっかい観てしもうた。
唐十郎の赤テント、私が見始めた80年代は、
70年代の電光石火の興奮がない、と元ヒッピーのじじばば様達がのたもうた。けどそれでも私が見た状況劇場の芝居はすごかった。

ということで、私は、何かにすごく魅せられていました。
天井桟敷も赤テントも、当時、経済成長めまぐるしい日本の街並を、
どらえもんの「どこでもドアー」みたいに、神出鬼没の舞台を打ち、夢のように消えては、次の場所へ行くのです。特に天井桟敷は、オフィス街の路上に白塗りの裸で現れて、ヨーロッパの王女様ありぃのサムライありぃので、時間と場所を縦横無尽に行き交い、まるっきりの「現実」を突っぱねる路上を、あっという間に空想の世界にしてしまうのです。

なんやってん、今のは?
何がそんなにおもろいねん、って言われたら、困る世界やねんけど、
私は甘いシュールなロマンにひたってしまうのでした。

その結果、私はそのロマンを求めて、大阪で劇団幻実劇場のメンバーに入れてもらいました。
その頃のことはこちらに書いています。

「なんでうち(の劇団)に来たんや」
 ある昼下がりにベランダで、静かに灰色の川を見下ろしながら、演出家の吉田さんが訊きました。
「このスタジオって、誰も知らないような大阪の下町にあって、環状線から降りて、川に向かって歩く道がすごく好きなんです。劇を見に来るまでの道に、甘いシュールなロマンを感じるんです。」
「場所にこだわった事いうのはオマエが初めてや。」

この会話以来、私は、吉田さんとよく「場所」について話したと思います。というか、彼は天才的な聞き上手で、あたしがべらべら喋ってばっかりでしたが、、、。


アメリカに行ったまんまの私が、何十年ぶりに吉田さんに会ったときは、プロヂューサー、クラブオーナーの岳原遊さんでした。大阪でいくつかライブハウスを経営し、新しい才能のアーティスト、または渋い面々を出演させておられました。
長年、彼の主演女優を妖艶に演じてこられたはやさん(速水陽子)が会ってくれて、彼のクラブでいっしょに何かできたら、なんて話したっけ。

ところが、去年の11月に彼が他界した、とのこと毎日新聞のニュースで知りました。
もう一度会って、今度こそ、甘いシュールなロマンの真髄を聞いてきたかったのに、、、。
半世紀の人生に賭けた彼はどのあたりにあったんだろう?彼の話をしてくれるヒト、いないかなぁ、って思うのであります。
もしいたら、どうか書き込み、またはメールくださいませ。
kunikotheater@live.com
よろしゅう。


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